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慎思録 / 巻之五

春秋記災異。而不書祥瑞。記災異者。警人君也。不書祥瑞者。恐人君之怠慢也。山水之佳境。風月之好景。草木之榮華之類。凡天文地理物華之觸耳目。而感發理義。蕩滌鄙吝者。其所益不尠矣。豈只行遊觀樂而巳哉。聖人見龍馬而作易。感獲麟而作春秋。雖聖心至理素存。然觸物而作興者然。且如詩三百篇。無非感草木禽獸蟲魚而起興。葢君子之志。常在于道而不忘。所以每觀感于物情。而有起興。譬如張旭之學書也。念玆在茲。故觀公孫大娘之舞劒。而悟筆法也。

新字:春秋記災異。而不書祥瑞。記災異者。警人君也。不書祥瑞者。恐人君之怠慢也。山水之佳境。風月之好景。草木之栄華之類。凡天文地理物華之触耳目。而感発理義。蕩滌鄙吝者。其所益不尠矣。豈只行遊観楽而巳哉。聖人見竜馬而作易。感獲麟而作春秋。雖聖心至理素存。然触物而作興者然。且如詩三百篇。無非感草木禽獣虫魚而起興。葢君子之志。常在于道而不忘。所以毎観感于物情。而有起興。譬如張旭之学書也。念玆在茲。故観公孫大娘之舞劒。而悟筆法也。

書き下し

春秋は災異を記して、祥瑞を書せず。災異を記すは、人君を警むるなり。祥瑞を書せざるは、人君の怠慢を恐るるなり。山水の佳境、風月の好景、草木の栄華の類、凡そ天文地理物華の耳目に触れて、理義を感発し、鄙吝を蕩滌する者は、其の益する所尠からず。豈に只だ行遊観楽するのみならんや。聖人は竜馬を見て易を作り、獲麟に感じて春秋を作る。聖心至理素より存すと雖も、然れども物に触れて興を作す者然り。且つ詩三百篇の如き、草木禽獣虫魚に感じて興を起こすに非ざるは無し。蓋し君子の志は、常に道に在りて忘れず。每に物情に観感して、興を起こす有る所以なり。譬へば張旭の書を学ぶや、念ふこと玆に在り、玆に在り。故に公孫大娘の剣を舞ふを観て、筆法を悟るが如きなり。

現代語訳

『春秋』は災害や異変を記して、めでたい兆しは書きません。災異を記すのは君主を戒めるためで、瑞兆を書かないのは君主が怠けるのを恐れるためです。山水の美しい景色、風や月の良い眺め、草木の花盛りなど、天文や地理や物の美しさが耳目に触れて、理義の心を呼び起こし、卑しくけちな心を洗い流すものは、その益が少なくありません。ただ遊び歩いて楽しむだけのものでしょうか。聖人は竜馬を見て易を作り、麒麟が捕らえられたことに感じて春秋を作りました。聖人の心にはもともと至理があるとはいえ、物に触れて感興を起こしたのです。また詩経三百篇も、草木や鳥獣や虫魚に感じて興を起こしていないものはありません。君子の志は常に道にあって忘れないので、いつも物の様子を見て感じ、興を起こすのです。たとえば張旭が書を学んだとき、思いは常にそこにありました。だから公孫大娘の剣舞を見て筆法を悟ったのです。

解説

前半は『春秋』が災異を記し瑞祥を書かない理由で、君主への戒めという儒家の史観です。後半はそれとは別の話題で、自然の景色に触れることが心を洗い理を呼び起こすと説きます。河図を負った竜馬から易が生まれた伝説、獲麟で春秋が絶筆した故事、草書の張旭が剣舞から筆法を得た話を並べ、心が道に向いていれば何を見ても学びになると言います。諸国を旅して紀行を残した益軒の実感でしょう。散歩や旅行でふと仕事の答えが浮かぶのも、日頃の問いがあってこそだと気づかせてくれます。

この章句が説くこと

春秋自然観感

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