慎思録 / 巻之五
東坡荀卿論。可戒於世之好立異論者。以他人之毀譽爲欣戚者。徇外忘內也。孟子曰。有不虞之譽。有求全之毀。是言毀譽不足以爲欣戚也。只內省不疚。樂莫大於此。苟學而有得。雖他人不知己。吾心眞可悅。常人學而微有才。則患人之不知己。或人知之。則其喜氣揚揚。人不知之。則戚戚不能樂。可觀其無得于心也。
新字:東坡荀卿論。可戒於世之好立異論者。以他人之毀誉為欣戚者。徇外忘内也。孟子曰。有不虞之誉。有求全之毀。是言毀誉不足以為欣戚也。只内省不疚。楽莫大於此。苟学而有得。雖他人不知己。吾心真可悦。常人学而微有才。則患人之不知己。或人知之。則其喜気揚揚。人不知之。則戚戚不能楽。可観其無得于心也。
書き下し
東坡の荀卿論は、世の好んで異論を立つる者を戒むべし。他人の毀誉を以て欣戚を為す者は、外に徇ひて内を忘るるなり。孟子曰く、不虞の誉有り、求全の毀有り、と。是れ毀誉以て欣戚を為すに足らざるを言ふなり。只だ内に省みて疚しからざる、楽しみ此より大なるは莫し。苟も学びて得る有らば、他人己を知らずと雖も、吾が心真に悦ぶべし。常人は学びて微かに才有れば、則ち人の己を知らざるを患ふ。或いは人之を知れば、則ち其の喜気揚揚たり。人之を知らざれば、則ち戚戚として楽しむこと能はず。其の心に得る無きを観るべきなり。
現代語訳
蘇東坡の「荀卿論」は、世の好んで奇抜な説を立てる者への戒めとすべきです。他人の毀りや誉れで喜んだり悲しんだりする者は、外に従って内を忘れているのです。孟子は「思いがけない誉れもあり、完全を求めたのに受ける毀りもある」と言いました。これは毀誉によって喜び悲しむには足りないということです。ただ自分の内を省みてやましくないこと、これに勝る楽しみはありません。もし学んで得るところがあれば、他人が自分を知らなくても、自分の心は本当に喜べます。普通の人は学んで少し才があると、人が自分を知らないことを気に病みます。人に知られれば得意満面になり、知られなければくよくよして楽しめません。心に得たものがないことが見て取れます。
解説
この章句が説くこと
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