酔古堂剣掃 / 集醒・自ら悟るの了了たるに如かず
事理因人言而悟者,有悟還有迷,總不如自悟之了了;意興從外境而得者,有得還有失,總不如自得之休休。
新字:事理因人言而悟者,有悟還有迷,総不如自悟之了了;意興従外境而得者,有得還有失,総不如自得之休休。
書き下し
事理の人の言に因りて悟る者は、悟る有るも還た迷ふ有り、總て自ら悟るの了了たるに如かず。 意興の外境に從りて得る者は、得る有るも還た失ふ有り、總て自ら得るの休休たるに如かず。
現代語訳
物事の道理を人の言葉によって悟った者は、悟ったと思ってもまた迷うことがあります。結局、自分で悟ったときのはっきりとした明らかさには及びません。興趣を外の景色によって得た者は、得たと思ってもまた失うことがあります。結局、自分の内から得たときのゆったりとした安らかさには及びません。
解説
人から教わった悟りと自分でつかんだ悟り、外から得た楽しみと内から湧く楽しみを対比した一則です。了了ははっきりと明らかなさま、休休はゆったりと満ち足りたさまを言います。人の説明で分かったつもりになっても、状況が変わるとすぐに迷いが戻ってきます。景色や娯楽から得た楽しさも、それがなくなれば消えてしまいます。自分で考え抜いて得た理解や、心の内から湧く楽しみこそが揺るがないのです。菜根譚にもほぼ同じ句があります。本や講義で得た知識を、自分の経験で確かめ直してはじめて本物になるという、学びの基本を教えています。
この章句が説くこと
自得学問悟り内省楽
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