慎思録 / 巻之五
好立道學之名。修邊幅務色莊。貪掠美譽者。無志乎眞知實行。此爲不足論。雖實有志于斯學。復但專治文義耽典籍。而終身不能通曉於義理者。雖自以爲好道學。便是訓詁之學耳。且如曲士。雖信道。然拘泥不能達于理。此皆不足爲君子之學也。曲士是偏僻而不達于理者也。
新字:好立道学之名。修辺幅務色荘。貪掠美誉者。無志乎真知実行。此為不足論。雖実有志于斯学。復但専治文義耽典籍。而終身不能通暁於義理者。雖自以為好道学。便是訓詁之学耳。且如曲士。雖信道。然拘泥不能達于理。此皆不足為君子之学也。曲士是偏僻而不達于理者也。
書き下し
好んで道学の名を立て、辺幅を修め色荘を務め、美誉を貪り掠むる者は、真知実行に志無し。此れ論ずるに足らずと為す。実に斯の学に志有りと雖も、復た但だ専ら文義を治め典籍に耽りて、終身義理に通暁すること能はざる者は、自ら以て道学を好むと為すと雖も、便ち是れ訓詁の学のみ。且つ曲士の如きは、道を信ずと雖も、然れども拘泥して理に達すること能はず。此れ皆君子の学と為すに足らざるなり。曲士とは是れ偏僻にして理に達せざる者なり。
現代語訳
好んで道学者の名を掲げ、外見を飾り顔つきをいかめしく装い、よい評判をむさぼり取ろうとする者は、真の知と実践に志がありません。これは論ずるに足りません。本当にこの学に志があっても、ただ文章の意味を研究し書物に耽るばかりで、生涯義理に通じることのできない者は、自分では道学を好むつもりでも、それはただの訓詁の学にすぎません。また曲士のような者は、道を信じてはいても、こだわりにとらわれて理に達することができません。これらはみな君子の学とするには足りません。曲士とは、偏っていて理に達しない者のことです。
解説
益軒は学ぶ者の失敗を三つに分けます。名声のための道学、文字の解釈に終わる訓詁の学、そして道を信じながら偏りにとらわれる曲士です。朱子学は本来、理を窮めて身に行う学であり、益軒は晩年の『大疑録』でも、朱子学を奉じる人々の形式主義に疑問を向けました。本条はその問題意識の一つの表れです。資格や肩書き、知識の量で学んだ気になっていないか、信じた方法に固執していないか、現代の学び手にも三つの鏡として使えます。
この章句が説くこと
学問道学訓詁真知実行
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