師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之五

文中子曰。不雜學。故明。葢爲學純一而不雜。則通徹于義理。而無蔽昧之患。其理豈得不光明乎。爲學不專一。則其志不立。其功不成。故學貴專一。程子曰。不專一。則不能直遂。是必然之理也。於小道亦然。况於大道乎。專一者。用心不分之謂也。

新字:文中子曰。不雑学。故明。葢為学純一而不雑。則通徹于義理。而無蔽昧之患。其理豈得不光明乎。為学不専一。則其志不立。其功不成。故学貴専一。程子曰。不専一。則不能直遂。是必然之理也。於小道亦然。況於大道乎。専一者。用心不分之謂也。

書き下し

文中子曰く、雑学せず、故に明らかなり、と。蓋し学を為すこと純一にして雑ならざれば、則ち義理に通徹して、蔽昧の患無し。其の理豈に光明ならざるを得んや。学を為すこと専一ならざれば、則ち其の志立たず、其の功成らず。故に学は専一を貴ぶ。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はず、と。是れ必然の理なり。小道に於ても亦然り。況んや大道に於てをや。専一とは、心を用ゐること分かたざるの謂なり。

現代語訳

文中子は「雑多に学ばない、だから明らかである」と言いました。学問が純一で雑でなければ、義理に深く通じて、覆われ暗くなる心配がありません。その理がどうして光り輝かずにいられましょう。学問が専一でなければ、志は立たず、成果も上がりません。だから学問は専一を貴ぶのです。程子は「専一でなければ、まっすぐに遂げることはできない」と言いました。これは必然の道理です。小さな技芸の道でもそうであり、まして大道においてはなおさらです。専一とは、心を分散させずに用いることをいいます。

解説

学問の成否は、才よりも心を一つに向けられるかにかかる、というのが本条の要点です。文中子は隋の王通、程子は北宋の程頤・程顥で、朱子学は「主一無適」、つまり心を一事に集中させることを敬の工夫の中心に置きました。益軒は、雑多に手を広げると義理が見えなくなると言い、専一を「心を分かたないこと」と定義し直します。情報があふれる今日、あれこれ手を出して何も身につかない悩みにそのまま当てはまり、一つのテーマに腰を据える意味を教えてくれます。

この章句が説くこと

専一学問集中

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる