講孟余話 / 附尾 讀保建大記一條
跋講孟劄記成、因復瀏覽一週、遂改名講孟餘話、蓋割、鍼刺也、凡其所記、發精義、摛文藻、如鍼之刺膚鮮血迸出、如鍼之刺衣彩線絺繡、而後足以爲称名已、而余之此著、豈其然乎哉、余之在獄、囚徒胥居、其已帰家、親戚盍簪、時乃把孟子講之、非精其訓詁、非喜其文字、唯其一憂一樂、一喜一怒、盡寓諸孟子焉耳、故當其喜樂也、講孟子、復益喜樂、當其憂怒也、講孟子、復益憂怒、憂怒之不可抑、喜樂之不可歇、隨話隨話、稍積成卷者、即此著也、然則是特講孟之餘話耳、何得爲割記哉、余已與囚徒親戚、同其憂樂、共其喜怒、亦已足矣、而又錄之成卷以問世、不太贅乎、且持此問經学先生與、經学先生將罵其雜駁麤豪也、持此問文章博士與、文章博士將笑其鄙俚蕪陋也、然則當今之世、孰問孰荅耶、噫是之吾所以不能已于餘話之錄也、夫天下以經学文章爲教、蓋亦久矣哉、經学益明、文章益美、國威日細、外夷日熾、斯道之所以爲道者、果何在乎、則天下與吾同憂樂、共喜怒者、亦何獨一二囚徒親戚而已哉、而余屛居謝世、世雖有其人、無由相從晤言、則餘話之錄、吾益不能已也、噫天下之士、其何以教之、安政三年、歲次丙辰、季夏之日、二十一回猛士、藤寅書諸松陰之囚室、此編、起業去年六月十三日、卒於今年六月十三日、中間或作或輟、居處已変、會者又異、而正當朞月、方乃成編、不亦奇乎、寅重書
新字:跋講孟劄記成、因復瀏覧一週、遂改名講孟余話、蓋割、鍼刺也、凡其所記、発精義、摛文藻、如鍼之刺膚鮮血迸出、如鍼之刺衣彩線絺繍、而後足以為称名已、而余之此著、豈其然乎哉、余之在獄、囚徒胥居、其已帰家、親戚盍簪、時乃把孟子講之、非精其訓詁、非喜其文字、唯其一憂一楽、一喜一怒、尽寓諸孟子焉耳、故当其喜楽也、講孟子、復益喜楽、当其憂怒也、講孟子、復益憂怒、憂怒之不可抑、喜楽之不可歇、随話随話、稍積成巻者、即此著也、然則是特講孟之余話耳、何得為割記哉、余已与囚徒親戚、同其憂楽、共其喜怒、亦已足矣、而又録之成巻以問世、不太贅乎、且持此問経学先生与、経学先生将罵其雑駁麤豪也、持此問文章博士与、文章博士将笑其鄙俚蕪陋也、然則当今之世、孰問孰荅耶、噫是之吾所以不能已于余話之録也、夫天下以経学文章為教、蓋亦久矣哉、経学益明、文章益美、国威日細、外夷日熾、斯道之所以為道者、果何在乎、則天下与吾同憂楽、共喜怒者、亦何独一二囚徒親戚而已哉、而余屛居謝世、世雖有其人、無由相従晤言、則余話之録、吾益不能已也、噫天下之士、其何以教之、安政三年、歳次丙辰、季夏之日、二十一回猛士、藤寅書諸松陰之囚室、此編、起業去年六月十三日、卒於今年六月十三日、中間或作或輟、居処已変、会者又異、而正当朞月、方乃成編、不亦奇乎、寅重書
書き下し
跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
現代語訳
跋。『講孟劄記』が完成した。そこでもう一度全体を読み通し、名を『講孟余話』と改めた。思うに「劄」とは鍼で刺すことである。およそ記したものが、精密な義を明らかにし、美しい文章を連ねて、鍼が肌を刺して鮮血がほとばしるように、鍼が布を刺して色糸で刺繍を施すようであってこそ、その名にふさわしい。だが私のこの書が、どうしてそのようなものであろうか。私が獄にいたときは囚人仲間とともに住み、家に帰ってからは親族が集まった。そのときに孟子を取り上げて講じた。訓詁を精密にしようとしたのでも、文字を楽しもうとしたのでもない。ただ自分の一つの憂い一つの楽しみ、一つの喜び一つの怒りを、すべて孟子に託しただけである。だから喜び楽しいときに孟子を講じれば、ますます喜び楽しく、憂い怒るときに孟子を講じれば、ますます憂い怒った。憂いと怒りは抑えられず、喜びと楽しみはやむことがなく、話すにつれて話が重なり、少しずつ積もって巻となったのが、この書である。してみれば、これはただ孟子を講じた余話にすぎない。どうして劄記と名乗れようか。私はすでに囚人仲間や親族と憂いや楽しみを同じくし、喜びや怒りを共にした。それでもう十分である。それなのにこれを記録して巻にまとめ、世に問うのは、ずいぶん余計なことではないか。しかも、これを経学の先生に見せれば、雑で粗っぽいと罵るだろう。文章の博士に見せれば、田舎じみて荒れていると笑うだろう。それなら今の世で、誰が問い、誰が答えてくれるのか。ああ、これこそ私がこの余話の記録をやめられないわけなのだ。そもそも天下では経学と文章を教えとしてきて、ずいぶん久しい。経学はいよいよ明らかに、文章はいよいよ美しくなったが、国の威光は日に日に衰え、外国の勢いは日に日に盛んになっている。この道が道である理由は、いったいどこにあるのか。とすれば、天下で私と憂い楽しみを同じくし、喜び怒りを共にする者は、どうしてわずか一人二人の囚人仲間や親族だけであろうか。しかし私は世を離れて閉じこもる身で、世にそういう人がいても、行き従って語り合う手立てがない。だから、この余話の記録を、私はますますやめることができないのである。ああ、天下の士よ、これに何を教えてくれるだろうか。安政三年、丙辰の年、晩夏の日、二十一回猛士・藤原寅、松陰の囚室にてこれを書く。この編は、去年の六月十三日に業を起こし、今年の六月十三日に終えた。その間、書いたりやめたりし、住まいも変わり、集まる者も入れ替わったが、ちょうど一年目にあたってようやく編を成した。なんとも奇しきことではないか。寅、重ねて書す。
解説
この章句が説くこと
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