慎思録 / 巻之四
樂之一字。聖人之所屢言。必有以也。是學者之所當知。不可以爲高遠不可及。而廢棄也。葢禮樂脩身之本。禮者敬而已。樂者樂也。二者。所以斯須不可去身也。樂是心之生理。雖常人亦有之。君子樂順道。以道制欲。則樂而不亂。小人樂順欲。以欲忘道。則亂而不樂。葢小人之所樂。非眞樂也。故君子而後得樂。非樂則不可以爲君子。仁者不憂。以樂與憂之消長。而君子小人分矣。
新字:楽之一字。聖人之所屡言。必有以也。是学者之所当知。不可以為高遠不可及。而廃棄也。葢礼楽脩身之本。礼者敬而已。楽者楽也。二者。所以斯須不可去身也。楽是心之生理。雖常人亦有之。君子楽順道。以道制欲。則楽而不乱。小人楽順欲。以欲忘道。則乱而不楽。葢小人之所楽。非真楽也。故君子而後得楽。非楽則不可以為君子。仁者不憂。以楽与憂之消長。而君子小人分矣。
書き下し
楽の一字は、聖人の屢言ふ所、必ず以有るなり。是れ学者の当に知るべき所なり。以て高遠にして及ぶべからずと為して廃棄すべからざるなり。蓋し礼楽は脩身の本なり。礼は敬のみ。楽は楽なり。二者は、斯須も身を去るべからざる所以なり。楽は是れ心の生理なり。常人と雖も亦た之有り。君子は楽しみて道に順ひ、道を以て欲を制す。則ち楽しみて乱れず。小人は楽しみて欲に順ひ、欲を以て道を忘る。則ち乱れて楽しまず。蓋し小人の楽しむ所は、真の楽に非ざるなり。故に君子にして而る後に楽を得。楽に非ざれば則ち以て君子と為すべからず。仁者は憂へず。楽と憂との消長を以て、君子小人分かる。
現代語訳
「楽」の一字は、聖人がたびたび口にしたもので、必ずわけがあります。これは学ぶ者が知るべきことです。高遠で及ばないものとして捨ててはなりません。礼と楽は身を修める根本です。礼は敬うことにすぎず、楽は楽しむことです。この二つは、わずかの間も身から離してはならないものです。楽しむことは心の生きる理で、普通の人にもあります。君子は楽しみながら道に従い、道によって欲を制します。だから楽しんでも乱れません。小人は楽しみながら欲に従い、欲によって道を忘れます。だから乱れて楽しめません。小人の楽しむものは真の楽しみではないのです。ですから君子であって初めて楽しみを得ます。楽しみがなければ君子とは言えません。仁者は憂えません。楽しみと憂いのどちらが伸びどちらが縮むかで、君子と小人が分かれるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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『慎思録』巻之一記に曰く、君子は其の道を得るを楽しむと。蓋し其の道を得るとは、惟心に私欲無くして、事理に当たるの謂なり。其の道を得ざれば、則ち此に反す。其の道を得れば、則ち随処にして楽しむ。所謂君子は入るとして自得せざること無しなり。然らば則ち逆境に処ると雖も、其の和楽の心を失はず。況んや順境に於てをや。立てば則ち立つを楽しみ、行けば則ち行くを楽しみ、臥せば則ち臥すを楽しみ、飲食すれば則ち飲食を楽しみ、客に対すれば則ち客を楽しみ、山水を観れば則ち山水を楽しむ。此くの如くなれば則ち往くとして楽しまざる所無し。驕楽を楽しみ佚遊を楽しむに非ず。蓋し自ら其の楽しみ有るのみ。
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『慎思録』巻之五楽記に曰く、君子は其の道を得るを楽しみ、小人は其の欲を得るを楽しむ。道を以て欲を制すれば、則ち楽しみて乱れず。欲を以て道を忘るれば、則ち惑ひて楽しまず、と。此れ君子と小人と、其の楽しむ所の相同じからざるを知る。猶ほ氷炭薫蕕の相容れざるがごとし。然り而して君子にして後に真の楽しみ有り。小人の楽しむ所は、楽しみ未だ既きざるに、憂ひ則ち之に随ふ。以て楽しみと為すべからず。
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『慎思録』巻之一楽しみは、是れ人心の天機なり。常人と雖も亦皆之有り。豈に唯人心のみ此の楽しみ有るのみならんや。草木の発生、禽虫の和鳴の如きも、亦是れ天機の発動にして、以て其の楽しみと為すべし。唯人は気稟の為に蔽錮せられ、物欲に間隔せられて、此の楽しみを失ふ者、世を挙げて皆然り。人情喜楽を欲せざること無し。然れども衆人は人心の本自ら此の楽しみ有るを識ること能はず。惟中に得る所無ければ、則ち外物を藉りて以て楽しみを求めざること能はず。是を以て声色臭味の欲、至らざる所無し。然れども道を以て欲を制すること能はざれば、則ち惑ひて楽しまず。故に其の初め耽楽すと雖も、然れども其の終り憂患無きこと能はず。衆人の惑ひて楽しまざる所以なり。
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『慎思録』巻之四君子は礼楽を以て修身の本と為す。礼楽に本有り文有り。是れ礼楽の本を指して言ふ。斯須も身を去るべからざる所以なり。蓋し礼は恭敬を以て本と為し、楽は和楽を以て本と為す。文有る者は其の末なり。礼楽を以て身を修むる者は、須らく恭敬和楽並び行はれて、相悖らざるべし。文の如き者は、又其の助けなり。固より其の助け無かるべからざるなり。而れども之を以て専務と為すべからず。
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『慎思録』巻之五礼楽は、聖人の人に教ふるの具なり。故に曰く、礼楽は斯須も身を去るべからず、と。蓋し礼楽に本有り文有り。礼楽の文は繁多なりと雖も、然れども礼の本は是れ一箇の敬、楽の本は是れ一箇の和なり。礼、之を外に表せば、則ち制度品節と為り、楽、之を外に表せば、則ち詠歌舞蹈と為る。所謂礼楽の文なり。本無ければ則ち立たず、文無ければ則ち行はれず。故に礼楽は本と文とを兼ねて全備と為す。礼勝れば則ち離る。故に楽有るを要す。楽勝れば則ち流る。故に礼有るを要す。二者相済ふべく、一を闕くべからざるなり。