慎思録 / 巻之四
在天爲神。在人爲心。葢能爲造化者。神也。爲天之心。能行萬事者。心也。爲人之神。在天在人。其理同。其類一也。自非聖人。雖大賢不能無偏蔽與過誤。若無之。則是聖人而已矣。譬諸日月之明。有時而蔽於浮雲。然於其大明。無所虧損。故賢者雖有所蔽。且有過失。然開其所蔽。改其過。則不失其爲賢。
新字:在天為神。在人為心。葢能為造化者。神也。為天之心。能行万事者。心也。為人之神。在天在人。其理同。其類一也。自非聖人。雖大賢不能無偏蔽与過誤。若無之。則是聖人而已矣。譬諸日月之明。有時而蔽於浮雲。然於其大明。無所虧損。故賢者雖有所蔽。且有過失。然開其所蔽。改其過。則不失其為賢。
書き下し
天に在りては神と為し、人に在りては心と為す。蓋し能く造化を為す者は神なり、天の心為り。能く万事を行ふ者は心なり、人の神為り。天に在ると人に在ると、其の理同じく、其の類一なり。聖人に非ざるよりは、大賢と雖も偏蔽と過誤と無きこと能はず。若し之無ければ、則ち是れ聖人のみ。諸を日月の明に譬ふ。時有りて浮雲に蔽はる。然れども其の大明に於て、虧損する所無し。故に賢者は蔽はるる所有り、且つ過失有りと雖も、然れども其の蔽はるる所を開き、其の過ちを改むれば、則ち其の賢為るを失はず。
現代語訳
天にあっては神といい、人にあっては心といいます。造化を行うことができるものが神で、これは天の心です。あらゆる事を行うことができるものが心で、これは人の神です。天にあるものと人にあるものは、その理が同じで、その類は一つです。聖人でなければ、大賢であっても偏りや覆いと過ちがないわけにはいきません。もしそれがなければ、それは聖人です。これを日月の明るさにたとえます。ときに浮雲に覆われることがあっても、その大いなる明るさは少しも損なわれません。ですから賢者は、覆われるところがあり過ちがあっても、その覆いを開き、その過ちを改めれば、賢者であることを失いません。
解説
二つの条がつながった単位です。前半は、天の造化のはたらきを神、人の万事を行うはたらきを心と呼び、両者は同じ理だと説きます。後半は、聖人でない限り大賢にも偏りや過ちはあるが、日月が浮雲に一時覆われても本来の明るさを失わないように、覆いを開き過ちを改めれば賢者であることを失わないと言います。『論語』子張篇の「君子の過ちや、日月の食の如し。過てば人皆之を見る。更むれば人皆之を仰ぐ」に通じる考えです。過ちを恐れすぎず、改めることに価値を置く姿勢を教えてくれます。
この章句が説くこと
心神過ち改過賢
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