大和俗訓 / 巻之七・躬行下
一よき人は、心を用ふる事多き故、事ごとによくをさまりて、過すくなし。よからざる人は、心を用ひずして、過多し。下部などの、智慮なくして、用にかなはざるは、皆心を用ひざればなり。心を用ふるとは何事ぞや、思案するを云ふなり。
書き下し
一よき人は、心を用ふる事多き故、事ごとによくをさまりて、過すくなし。よからざる人は、心を用ひずして、過多し。下部などの、智慮なくして、用にかなはざるは、皆心を用ひざればなり。心を用ふるとは何事ぞや、思案するを云ふなり。
現代語訳
よい人は心を用いることが多いので、事ごとによく治まって、過ちが少ない。よくない人は心を用いないので、過ちが多い。召使いなどが知恵や思慮がなくて役に立たないのは、みな心を用いないからです。心を用いるとは何のことか。思案することをいうのです。
解説
よい人と役に立たない人の違いは、生まれつきの能力より、心を用いるかどうかにあると益軒は言います。そして「心を用いる」とは、要するに考えることだと簡潔に定義しています。言われたことをただこなすのではなく、目的や相手の立場を考えて動く人は、仕事の質が違います。今の職場でいう「気が利く」「段取りがよい」という評価も、結局は考えて動いているかどうかにかかっています。能力の差より、考える習慣の差が大きいという教えは、誰にとっても励みになるでしょう。
この章句が説くこと
思案心仕事気配り過ち
関連する章句
-
『慎思録』巻之四天に在りては神と為し、人に在りては心と為す。蓋し能く造化を為す者は神なり、天の心為り。能く万事を行ふ者は心なり、人の神為り。天に在ると人に在ると、其の理同じく、其の類一なり。聖人に非ざるよりは、大賢と雖も偏蔽と過誤と無きこと能はず。若し之無ければ、則ち是れ聖人のみ。諸を日月の明に譬ふ。時有りて浮雲に蔽はる。然れども其の大明に於て、虧損する所無し。故に賢者は蔽はるる所有り、且つ過失有りと雖も、然れども其の蔽はるる所を開き、其の過ちを改むれば、則ち其の賢為るを失はず。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上是皆気質の偏なり、心を害す。凡気質のあしき所を変化する事、きはめてかたし。平生心を用ひて、是に勝たずんばあるべからず。又過あらば速かに改むべし。過とは巧みて悪をするにはあらず、是非を知らずして、不意に道理にそむくをいふ。気質の偏により、私慾の妨によりて、過をなすこと多し。人聖人にあらず、誰も過多し。過と知らば、速かに改めて善にうつるべし。吝なるべからず。吝なりとは、過ををしみて改めかぬるを云ふ。凡私慾邪念と、気質の偏と、過と、此三の者ありては心術を害す。心を正しくし、道を行はんとすれども、是等の過悪ありて去らざれば、徳にすすむべきやうなし。たとへば田を作るに莠を去らざれば、水をそそぎ、こやししても、莠のみ茂りて、苗に益なし。まづ莠をさりて、水と肥を用ふるが如し。又身の病を去りて後、補養するが如し。
-
『五常訓』巻之四・礼一君子は、耳に非礼の音楽淫声をきかず。目に非礼なる見物を見ず。口に非礼の事をいはず。身に非礼のうごきをなさず。飲食を慎み、節にして過さず。皆是礼の制する所なり。一口の過なきより、身の過なきは難く、身の過なきより、心の過なき事は難し。三のもの、ともに礼を以て正さずんばあるべからず。
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
『呻吟語』内篇・存心・心は天平のごとくならんことを要す心は天平のごとくならんことを要す。物を稱る時、物は忙しくして衡は忙しからず。物去る時、即ち懸空して此に在り。只だ恁く靜虛中正なれば、何等ぞ自在ならん。
-
『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る