慎思録 / 巻之四
最緊切者。亦在克己之私欲耳。葢能養者。必去其害。害仁者。非私欲乎。故尊德性樂義理。存心養性。克去私欲。而後求仁之功盡矣。此三者。不可廢其一。夫平日存養之功。不可廢。私意已萠時。不可不克。然非知性貴樂義理。雖勉强勞苦。以欲存養克治。只是强持拘迫耳。非中心悅樂爲之。豈能可得久乎。喩之於五穀稼種之功。知性貴而樂道者。知五穀之美貴於庶草。而種藝之者也。存心養性者。旣種而後培壅灌漑之也。克己者。耘之者也。夫種藝五穀。而後固可用灌漑培壅之功。然而有藜莠蓬蒿。而爲之害。則苗之美者漸枯壞。而灌漑培養之功亦無益焉。故不可不用耘除之功。此所以克己之功不可闕也。故曰。三者闕其一。則不可也。
新字:最緊切者。亦在克己之私欲耳。葢能養者。必去其害。害仁者。非私欲乎。故尊徳性楽義理。存心養性。克去私欲。而後求仁之功尽矣。此三者。不可廃其一。夫平日存養之功。不可廃。私意已萠時。不可不克。然非知性貴楽義理。雖勉強労苦。以欲存養克治。只是強持拘迫耳。非中心悦楽為之。豈能可得久乎。喩之於五穀稼種之功。知性貴而楽道者。知五穀之美貴於庶草。而種芸之者也。存心養性者。既種而後培壅灌漑之也。克己者。耘之者也。夫種芸五穀。而後固可用灌漑培壅之功。然而有藜莠蓬蒿。而為之害。則苗之美者漸枯壊。而灌漑培養之功亦無益焉。故不可不用耘除之功。此所以克己之功不可闕也。故曰。三者闕其一。則不可也。
書き下し
最も緊切なる者は、亦た己の私欲に克つに在るのみ。蓋し能く養ふ者は、必ず其の害を去る。仁を害する者は、私欲に非ずや。故に徳性を尊び義理を楽しみ、心を存し性を養ひ、私欲を克去して、而る後に仁を求むるの功尽くせり。此の三者は、其の一を廃すべからず。夫れ平日存養の功は廃すべからず。私意已に萌す時は、克たざるべからず。然れども性の貴きを知り義理を楽しむに非ざれば、勉強労苦して、以て存養克治せんと欲すと雖も、只だ是れ強ひて持し拘迫するのみ。中心悦楽して之を為すに非ざれば、豈に能く久しきを得べけんや。之を五穀稼種の功に喩ふ。性の貴きを知りて道を楽しむ者は、五穀の美の庶草より貴きを知りて、之を種芸する者なり。心を存し性を養ふ者は、既に種ゑて而る後に之を培壅灌漑するなり。克己なる者は、之を耘る者なり。夫れ五穀を種芸して、而る後に固より灌漑培壅の功を用ふべし。然り而して藜莠蓬蒿有りて、之が害を為せば、則ち苗の美なる者漸く枯壊して、灌漑培養の功も亦た益無し。故に耘除の功を用ひざるべからず。此れ克己の功の闕くべからざる所以なり。故に曰く、三者其の一を闕けば、則ち不可なり、と。
現代語訳
最も差し迫って大切なのは、やはり自分の私欲に克つことにあります。よく養う者は必ずその害を取り除きます。仁を害するものは私欲ではないでしょうか。ですから徳性を尊び義理を楽しみ、心を保ち性を養い、私欲に克って取り除いてこそ、仁を求める努力が尽くされるのです。この三つは一つも捨ててはなりません。日頃心を保ち養う努力は捨ててはならず、私意が芽生えたときには克たなければなりません。しかし性の尊さを知り義理を楽しむのでなければ、努めて苦労して心を保ち己を治めようとしても、ただ無理に保って縛りつけるだけです。心の底から喜び楽しんで行うのでなければ、どうして長続きしましょう。これを五穀を植える仕事にたとえます。性の尊さを知って道を楽しむ者は、五穀の良さが雑草より尊いことを知って種をまく者です。心を保ち性を養う者は、種をまいた後に土を寄せ水をやる者です。己に克つ者は、草を取る者です。五穀を植えた後には、もちろん水をやり土を寄せる努力をすべきです。しかしアカザや雑草、ヨモギなどが生えて害をすれば、良い苗もしだいに枯れて、水をやり育てる努力も無駄になります。ですから草を取り除く努力をしないわけにはいきません。これが己に克つ努力を欠かせないわけです。だから「三つのうち一つでも欠けてはいけない」と言うのです。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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『慎思録』巻之四楽の一字は、聖人の屢言ふ所、必ず以有るなり。是れ学者の当に知るべき所なり。以て高遠にして及ぶべからずと為して廃棄すべからざるなり。蓋し礼楽は脩身の本なり。礼は敬のみ。楽は楽なり。二者は、斯須も身を去るべからざる所以なり。楽は是れ心の生理なり。常人と雖も亦た之有り。君子は楽しみて道に順ひ、道を以て欲を制す。則ち楽しみて乱れず。小人は楽しみて欲に順ひ、欲を以て道を忘る。則ち乱れて楽しまず。蓋し小人の楽しむ所は、真の楽に非ざるなり。故に君子にして而る後に楽を得。楽に非ざれば則ち以て君子と為すべからず。仁者は憂へず。楽と憂との消長を以て、君子小人分かる。
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『慎思録』巻之二学者は須らく仁を以て心に存し、毎日人を利する事を做すことを要すべし。人の知ると知らざるとを管せず。之を称して陰徳と為す。上は王公より、下は乞人に至るまで、皆人を利するの事有り。須らく其の心を尽くすことを要すべし。貧賤の極と雖も、亦た行ふべし。唯だ大小広狭の異有るのみ。之を行ふこと久しくして廃せざれば、則ち積善豈に窮まり有らんや。古語に曰く、塵積もりて山と成る、と。此の謂ひなり。夫れ人を利し善を積むこと此くの如し。亦た楽しからずや。
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