呻吟語 / 外篇・品藻・樂は內外を知るを要す
樂要知內外。聖賢之樂在心,故順逆窮通隨處皆泰;眾人之樂在物,故山溪花鳥遇境才生。
新字:楽要知内外。聖賢之楽在心,故順逆窮通随処皆泰;衆人之楽在物,故山渓花鳥遇境才生。
書き下し
樂は內外を知るを要す。聖賢の樂は心に在り、故に順逆窮通處に隨ひて皆な泰なり。眾人の樂は物に在り、故に山溪花鳥境に遇ひて才かに生ず。
現代語訳
楽しみは内と外を知ることが必要です。聖賢の楽しみは心にあるので、順境でも逆境でも行き詰まっても通じても、どこにいても安らかです。大勢の人の楽しみは物にあるので、山や谷や花や鳥といった場面に出会って初めて生まれます。
解説
楽しみの在り処を、心と物に分けます。心にあれば場所を選ばず、物にあれば場面に依存します。前に出てきた、楽しみを学ぶ流派への批判とも通じますが、こちらは楽しみ自体を否定せず、出どころを問うだけです。どこでも楽しめるかどうかで、在り処が判定できる形になっています。どこでも楽しめるかどうかで、在り処が判定できます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
楽内外心物依存
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『慎思録』巻之一孔顔の楽しみと、吟風弄月の楽しみとの同じからずと為す者は、何ぞや。蓋し孔顔の楽しみは外に在らざるを以てなり。然れども吟風弄月の楽しみは外に在りと雖も、亦以て吾が楽しみを資くべし。内外相干渉せざる者に非ざるなり。
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『慎思録』巻之四山水風月の閑淡、芳草嘉木の生意は、是れ君子の愛観する所なり。之に対すれば、則ち其の心胸を開豁し、其の情性を清和し、以て道心を感興し、鄙吝を蕩尽すべし。是れ天機を触発するの益有り。故に講学して余力有らば、則ち逍遥遊観すべし。若し良辰美景に逢はば、則ち空しく放過すべからず。孔子は東山に登り泰山に登り、亦た川上の嘆有り。周濂溪は雅に意を林壑に縦にし、平生の志、終に丘壑に在り。明道は泰山の勝を慕ひて、遊山の詩有り。再び周茂叔に見えて、風に吟じ月を弄して帰る。朱子は毎に経行する処、佳山水有るを聞けば、迂途と雖も必ず往きて遊ぶ。皆是れ聖賢の玩賞する所にして、仁知の喜楽する所なり。若し夫れ喧鬧繁華の境を愛する者は、是れ俗人の楽しむ所なり。紅白の花開き、濃艶芬郁の地の如きは、固より愛賞すべし。歌吹雑戯の場とは同じからずと雖も、然れども青山流水の閑淡にして、味最も多きに如かざるのみ。
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