論語 / 八佾篇
三家者以雍徹。子曰:『相維辟公、天子穆穆。奚取於三家之堂?』
書き下し
三家者、雍を以て徹す。子曰く、『相維(かな)い辟公、天子穆穆(ぼくぼく)。何をか三家の堂に取りてか。』
現代語訳
三家の家臣たちが雍の曲を用いて食事のときの音楽とした。孔子は言った。「『王を助ける諸侯は恭しく、天子は威厳がある』と歌われる曲を、どうして三家の堂で奏でることができるのか。」
解説
組織における「象徴」(役職、表彰、社内イベント等)は、組織の価値観を体現する強力なメッセージツールです。リーダーがその重みを理解せず乱用すれば、象徴は価値を失い社員の士気を下げます。理念に合致しない成果を表彰したり、実力に見合わない役職を与えたりすることは、組織の価値基準を曖昧にし、混乱を招くリーダーの失策です。
この章句が説くこと
楽雍権威境界
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