慎思録 / 巻之四
明儒有侮朱子者。又有諛朱子者。二者不同。其識見之蔽固則同矣。白樂天以謂。作詩者勞心。虛役聲氣。連朝接夕。不自知其苦。非魔而何。愚謂。此以詩爲魔也。其言宜矣。然而白樂天其言如此。而其所爲不免爲詩魔所惑者。何耶。
新字:明儒有侮朱子者。又有諛朱子者。二者不同。其識見之蔽固則同矣。白楽天以謂。作詩者労心。虚役声気。連朝接夕。不自知其苦。非魔而何。愚謂。此以詩為魔也。其言宜矣。然而白楽天其言如此。而其所為不免為詩魔所惑者。何耶。
書き下し
明儒に朱子を侮る者有り、又朱子に諛ふ者有り。二者同じからずと雖も、其の識見の蔽固は則ち同じ。白楽天以謂へらく、詩を作る者は心を労し、虚しく声気を役し、朝を連ね夕に接して、自ら其の苦しみを知らず。魔に非ずして何ぞ、と。愚謂へらく、此れ詩を以て魔と為すなり。其の言宜なり。然り而して白楽天、其の言此の如くにして、其の為す所は詩魔の惑はす所と為るを免れざる者は、何ぞや。
現代語訳
明の儒者には朱子を侮る者もいれば、朱子にへつらう者もいます。二つは同じではありませんが、その見識が覆われて頑なである点は同じです。白居易(楽天)は「詩を作る者は心を労し、むなしく声と気を使い、朝から晩まで続けて、自分の苦しみに気づかない。これが魔でなくて何であろうか」と言いました。私が思うに、これは詩を魔としているのです。その言葉はもっともです。それなのに白楽天は、このように言いながら、その行いは詩魔に惑わされることを免れなかったのは、なぜでしょうか。
解説
二つの短い条がつながった単位です。前半は、朱子を侮る者も盲目的にへつらう者も、見識が曇っている点では同じだと指摘します。後半は、白居易が自ら詩作に取りつかれることを「詩魔」と呼びながら、生涯詩を作り続けたことを皮肉ります。白居易には「詩魔」を詠んだ詩がいくつもあります。権威を否定するのも盲信するのも、自分で考えることを放棄している点で同じだという洞察と、わかっていてもやめられないものへの自覚は、判断や習慣を見直すうえで示唆に富んでいます。
この章句が説くこと
見識朱子詩自省蔽
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