慎思録 / 巻之四
心平氣和。物我公共。自與物相親。人好爲矯激之行者。因好名之心勝也。怒者。先自傷而後傷人。故傷人者。自傷之餘也。然比至傷人。則自傷增甚。
新字:心平気和。物我公共。自与物相親。人好為矯激之行者。因好名之心勝也。怒者。先自傷而後傷人。故傷人者。自傷之余也。然比至傷人。則自傷增甚。
書き下し
心平らかに気和らげば、物我公共にして、自ら物と相親しむ。人の矯激の行ひを為すを好む者は、名を好むの心勝つに因るなり。怒りは、先づ自ら傷りて而る後に人を傷る。故に人を傷る者は、自ら傷るの余りなり。然れども人を傷るに至るに比べれば、則ち自ら傷ること増々甚だし。
現代語訳
心が平らかで気が和らいでいれば、物と自分を公平に同じくして、おのずから物と親しみ合います。人が度を越した激しい行いを好むのは、名を好む心が勝っているからです。怒りは、まず自分を傷つけ、その後に人を傷つけます。ですから人を傷つけるのは、自分を傷つけた余りなのです。しかし人を傷つけるに至るころには、自分を傷つけることはますますひどくなっています。
解説
三つの短い条がつながった単位です。心が平らかなら自他の隔てなく物と親しめること、奇抜で激しい行いは名誉欲から出ること、そして怒りはまず自分を傷つけ、人を傷つけるころには自分の傷はさらに深くなっていることを述べます。怒りが心身を損なうというのは、養生家としての益軒が『養生訓』でも繰り返した主張です。怒りを相手への攻撃としてではなく、まず自分への害として捉え直す見方は、感情に振り回されないための具体的な手がかりとなります。
この章句が説くこと
心怒養生名和
関連する章句
-
『慎思録』巻之一心は隠微の中に在りて、未だ形迹の著るること有らず。之を操ること難し。情に発して後に迹有りて、善悪著る。此に於て操りて存すべし。情は気に由りて発す。故に正心の道は、養気に在り。養気とは、動静語黙、人に接し事に応ずるに、常に和平なるを要す。和平の道は、所謂其の志を持して其の気を暴ふこと勿きに在るのみ。大率日用常行の際、己を修め人に接するの道は、温恭を以て基と為す。堯は允恭克譲、舜は温恭允塞、夫子は温良恭倹譲、燕居申申夭夭。詩に曰く、温温たる恭人、惟れ徳の基と。管子弟子職に曰く、温恭自ら虚しくすと。聖賢の行ふ所、皆是れ這件の事なり。夫れ人の一身、心固より主為り、而して気専ら事を用ふ。故に七情思慮視聴言動、皆気の為す所なり。之を養ふに節を以てせざるべからず。若し其の気を暴へば、則ち其の道を失ふと為す。故に平生温恭和平にして以て気を養ふは、是れ即ち心を養ふ所以にして、心を養ふと気を養ふとは、二事に非ざるなり。
-
『慎思録』巻之一心を平らかにし気を和らぐるは、是れ身を養ひ徳を養ふの工夫なり。気を養ひて暴ふこと無きの工夫は、温恭和順、従容として迫らず、声色を動かさざるに在り。気を養ふこと此くの如くなれば、以て其の楽しみを失はざるべし。温恭の二字、経伝多く之を言ふ。是れ善を為すの初めなり。苟も是くの如くならざれば、則ち善を為すこと能はず。人に接するの道、当に是くの如くなるべし。
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは中々せくるゝなり、然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切るなり、只依り来る時に、事に触れ物に随て、心品を調ふること難きなり、学者身命を捨ると思ふて、且くおしゝづめて、云ふべきことをも、修すべきことをも、道理に順ずるか順せざるかと案じて、道理に順せば云ひ、若くは行じもすべきなり、
-
『呻吟語』内篇・存心・心は天平のごとくならんことを要す心は天平のごとくならんことを要す。物を稱る時、物は忙しくして衡は忙しからず。物去る時、即ち懸空して此に在り。只だ恁く靜虛中正なれば、何等ぞ自在ならん。