慎思録 / 巻之四
懲忿窒慾。豈養德之道乎。抑復養生之方也。葢忿慾能害德。且能害生。故養德養生。其道一也。平安城之人風竹散人者。我之舊朋也。博覽能文。爲良醫。其言曰。凡富有三等。第宅宏麗。資財殷充者。家富也。四體康健。耳目聰明者。身富也。旁通物理。廣識古今者。心富也。三者不得而兼。將何取焉。家富不如身富。身富不如心富。故顏子不改其樂。莊周畏爲犧牛矣。世俗唯尙家富。未甞論及身心之上。故貧士有不知其樂者。篤信曰。富有三等。是前人所未發。可謂好議論也。
新字:懲忿窒慾。豈養徳之道乎。抑復養生之方也。葢忿慾能害徳。且能害生。故養徳養生。其道一也。平安城之人風竹散人者。我之旧朋也。博覧能文。為良医。其言曰。凡富有三等。第宅宏麗。資財殷充者。家富也。四体康健。耳目聰明者。身富也。旁通物理。広識古今者。心富也。三者不得而兼。将何取焉。家富不如身富。身富不如心富。故顔子不改其楽。荘周畏為犠牛矣。世俗唯尚家富。未甞論及身心之上。故貧士有不知其楽者。篤信曰。富有三等。是前人所未発。可謂好議論也。
書き下し
忿を懲らし慾を窒ぐは、豈に養徳の道のみならんや。抑も復た養生の方なり。蓋し忿慾は能く徳を害し、且つ能く生を害す。故に養徳と養生と、其の道一なり。平安城の人風竹散人なる者は、我の旧朋なり。博覧にして文を能くし、良医為り。其の言に曰く、凡そ富に三等有り。第宅宏麗にして、資財殷充なる者は、家富なり。四体康健にして、耳目聡明なる者は、身富なり。旁く物理に通じ、広く古今を識る者は、心富なり。三者得て兼ぬべからずんば、将た何をか取らん。家富は身富に如かず、身富は心富に如かず。故に顔子は其の楽しみを改めず、荘周は犠牛と為るを畏る、と。世俗は唯だ家富を尚び、未だ嘗て論じて身心の上に及ばず。故に貧士に其の楽しみを知らざる者有り。篤信曰く、富に三等有りとは、是れ前人の未だ発せざる所にして、好き議論と謂ふべし。
現代語訳
怒りをこらえ欲をふさぐことは、徳を養う道であるだけでしょうか。そもそもまた生を養う方法でもあります。怒りと欲は徳を害し、また生を害します。ですから徳を養うことと生を養うことは、その道が一つなのです。京都の人で風竹散人という者は、私の古い友人です。広く書を読み文章に優れ、良い医者でもあります。その人がこう言いました。「およそ富には三つの等級がある。屋敷が広く立派で財産が豊かなのは家の富である。手足が健やかで耳目がさといのは身の富である。広く物の理に通じ、古今を広く知っているのは心の富である。三つを兼ねることができないなら、どれを取るか。家の富は身の富に及ばず、身の富は心の富に及ばない。だから顔回は貧しくてもその楽しみを改めず、荘子は犠牲の牛となることを恐れたのだ」。世間はただ家の富ばかりを尊び、身や心のことにまで論じ及んだことがありません。そのため貧しい士の中には、その楽しみを知らない者がいるのです。私、篤信が言います。富に三つの等級があるというのは、前の人がまだ言わなかったことで、良い議論と言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之二朱子曰く、才は是れ心の力なり、と。蓋し能く善を為し能く悪を為す、皆是れ心の力なり。故に才に善有り悪有り。君子の才有り、小人の才有り。窃かに朱子の言を以て之を推して自ら謂ふ、徳は心の善なり。心の力と相対す。蓋し心の善は、即ち是れ仁義礼智にして、天に得る者有り。天性なり。又道を行ひて心に得る者有り。此れ人為なり。此の二者は、皆心に得る者にして、心の善なり。得とは何ぞや。善を得るを言ふ。故に古人曰く、徳は得なり、と。
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『慎思録』巻之一古人の学を為すや、道明らかに徳立つ所以の者は、何ぞや。其の心を用ふることの精しきに因るなり。今人の学を為すや、道明らかならず、徳立たざる所以の者は、何ぞや。其の心を用ふること粗きに因るなり。蓋し心を用ふること精しければ、則ち其の理を察すること密なり。故に其の道明らかなり。其の力行すること慎む。故に其の徳立つ。心を用ふること粗き者は此に反す。程子以為へらく、顔子の未だ聖人に至らざる所以は、其の心麤なればなりと。夫れ顔子の聡明純粋を以てして、尚ほ且つ此くの如し。況んや凡そ学ぶ者、豈に心を此に用ひざるべけんや。技芸に至るも亦然り。其の良拙有る所以は、心を用ふることの精粗有るに由るのみ。本邦の人、古来文学道芸の中華に及ばざる所以も、亦粗に傷るるに因るなり。
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