慎思録 / 巻之一
古人之爲學也。所以道明德立者。何也。因其用心之精也。今人之爲學也。所以道不明。德不立者。何也。因其用心粗也。葢用心精。則其察理也密。故其道明焉。其力行也愼。故其德立焉。用心粗者反此。程子以爲顏子所以未至聖人。其心麤。夫以顏子之聰明純粹。尙且如此。况凡學者。豈可不用心於此乎。至技藝亦然。其所以有良拙者。由用心之有精粗而巳。本邦之人。古來文學道藝所以不及中華者。亦因傷于粗也。
新字:古人之為学也。所以道明徳立者。何也。因其用心之精也。今人之為学也。所以道不明。徳不立者。何也。因其用心粗也。葢用心精。則其察理也密。故其道明焉。其力行也慎。故其徳立焉。用心粗者反此。程子以為顔子所以未至聖人。其心麤。夫以顔子之聰明純粋。尚且如此。況凡学者。豈可不用心於此乎。至技芸亦然。其所以有良拙者。由用心之有精粗而巳。本邦之人。古来文学道芸所以不及中華者。亦因傷于粗也。
書き下し
古人の学を為すや、道明らかに徳立つ所以の者は、何ぞや。其の心を用ふることの精しきに因るなり。今人の学を為すや、道明らかならず、徳立たざる所以の者は、何ぞや。其の心を用ふること粗きに因るなり。蓋し心を用ふること精しければ、則ち其の理を察すること密なり。故に其の道明らかなり。其の力行すること慎む。故に其の徳立つ。心を用ふること粗き者は此に反す。程子以為へらく、顔子の未だ聖人に至らざる所以は、其の心麤なればなりと。夫れ顔子の聡明純粋を以てして、尚ほ且つ此くの如し。況んや凡そ学ぶ者、豈に心を此に用ひざるべけんや。技芸に至るも亦然り。其の良拙有る所以は、心を用ふることの精粗有るに由るのみ。本邦の人、古来文学道芸の中華に及ばざる所以も、亦粗に傷るるに因るなり。
現代語訳
昔の人の学問で、道が明らかになり徳が立ったのはなぜでしょうか。心の用い方が精しかったからです。今の人の学問で、道が明らかにならず徳が立たないのはなぜでしょうか。心の用い方が粗いからです。心の用い方が精しければ、道理を察することが細やかなので、道が明らかになります。力を尽くして行うことが慎重なので、徳が立ちます。心の用い方が粗い者はこの反対です。程子は、顔回がまだ聖人に至らなかったのは、その心が粗かったからだと考えました。顔回ほどの聡明で純粋な人でさえこうなのですから、まして普通の学ぶ者が、どうしてここに心を用いずにいられましょう。技芸に至るまで同じです。上手下手があるのは、心の用い方に精粗があるからにすぎません。わが国の人が昔から学問や技芸で中国に及ばなかったのも、粗さに損なわれていたからです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之二朱子曰く、才は是れ心の力なり、と。蓋し能く善を為し能く悪を為す、皆是れ心の力なり。故に才に善有り悪有り。君子の才有り、小人の才有り。窃かに朱子の言を以て之を推して自ら謂ふ、徳は心の善なり。心の力と相対す。蓋し心の善は、即ち是れ仁義礼智にして、天に得る者有り。天性なり。又道を行ひて心に得る者有り。此れ人為なり。此の二者は、皆心に得る者にして、心の善なり。得とは何ぞや。善を得るを言ふ。故に古人曰く、徳は得なり、と。
-
『慎思録』巻之四忿を懲らし慾を窒ぐは、豈に養徳の道のみならんや。抑も復た養生の方なり。蓋し忿慾は能く徳を害し、且つ能く生を害す。故に養徳と養生と、其の道一なり。平安城の人風竹散人なる者は、我の旧朋なり。博覧にして文を能くし、良医為り。其の言に曰く、凡そ富に三等有り。第宅宏麗にして、資財殷充なる者は、家富なり。四体康健にして、耳目聡明なる者は、身富なり。旁く物理に通じ、広く古今を識る者は、心富なり。三者得て兼ぬべからずんば、将た何をか取らん。家富は身富に如かず、身富は心富に如かず。故に顔子は其の楽しみを改めず、荘周は犠牛と為るを畏る、と。世俗は唯だ家富を尚び、未だ嘗て論じて身心の上に及ばず。故に貧士に其の楽しみを知らざる者有り。篤信曰く、富に三等有りとは、是れ前人の未だ発せざる所にして、好き議論と謂ふべし。
-
『慎思録』巻之二好悪正しからざるは、是れ人道の廃るる所以なり。好悪正しければ、則ち人道立ちて、行はる。好悪の正と不正と、其の繋かる所の大なること此くの如し。君子の心は、青天白日の蔽昧無きが如く然り。其の奥乎として測るべからざる者は、徳の深厚なるを以てなり。猶ほ水澄明なりと雖も、其の積むこと深き者は、沕として測り難きがごとし。小人の心は、頑雲陰霧の晴明ならざるが如く然り。其の浅くして測り易き者は、其の心の浅薄なるを以てなり。
-
『格言聯璧』持躬類・凡そ陽は必ず剛、剛は必ず明凡そ陽は必ず剛、剛は必ず明、明なれば則ち知り易し。 凡そ陰は必ず柔、柔は必ず暗、暗なれば則ち測り難し。 人を稱するに顏子を以てすれば、悅ばざる者無し、其の貧賤にして夭なるを忘る。 人を指すに盜跖を以てすれば、怒らざる者無し、其の富貴にして壽なるを忘る。
-
『驢鞍橋』卷下後世を願ふと云ふは、修し行して心老しく成り、物に碍らぬ様に用ゆること也。何としても初心にて心老しく成かたき物也。此の用には盲安杖が好き也。あれを見て、我には此の病有り、此の段を守て徳に至るべしと見るべき也。然れども盲安杖さへ左様に見る人なし。如是見ずんば、何返見ても益有るべからすと也。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは中々せくるゝなり、然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切るなり、只依り来る時に、事に触れ物に随て、心品を調ふること難きなり、学者身命を捨ると思ふて、且くおしゝづめて、云ふべきことをも、修すべきことをも、道理に順ずるか順せざるかと案じて、道理に順せば云ひ、若くは行じもすべきなり、