弁名 / 德
鄕飮酒之義曰。德也者得於身也。朱子意謂不言心而言身。猶淺矣。不知古言之失耳。古無以身心對言者。凡言身者。皆謂己也。己豈外心哉。孟子曰。其生色也睟然。見於面。盎於背。施於四體。四體不言而喩。是狀德之言也。豈徒得於心之謂哉。夫徒巧其言令其色。固不可以爲德。然徒得於心。其失均焉。且不以禮樂而以心。是謂之不學無術焉。不知循先王孔子敎人之道故也。
新字:郷飲酒之義曰。徳也者得於身也。朱子意謂不言心而言身。猶浅矣。不知古言之失耳。古無以身心対言者。凡言身者。皆謂己也。己豈外心哉。孟子曰。其生色也睟然。見於面。盎於背。施於四体。四体不言而喩。是状徳之言也。豈徒得於心之謂哉。夫徒巧其言令其色。固不可以為徳。然徒得於心。其失均焉。且不以礼楽而以心。是謂之不学無術焉。不知循先王孔子教人之道故也。
書き下し
郷飲酒の義に曰く、「徳なる者は身に得るなり」と。朱子の意に謂へらく、心と言はずして身と言ふは、猶ほ浅しと。古言の失を知らざるのみ。古は身心を以て対言する者無し。凡そ身と言ふ者は、皆己を謂ふなり。己豈に心を外にせんや。孟子曰く、「其の色に生ずるや睟然として、面に見はれ、背に盎れ、四体に施し、四体言はずして喩る」と。是れ徳を状するの言なり。豈に徒に心に得るの謂ならんや。夫れ徒に其の言を巧みにし其の色を令くするは、固より以て徳と為すべからず。然れども徒に心に得るも、其の失均し。且つ礼楽を以てせずして心を以てす、是れ之を不学無術と謂ふ。先王・孔子の人を教ふるの道に循ふを知らざるが故なり。
現代語訳
『礼記』郷飲酒義に「徳とは身に得ることである」とある。朱子は、心と言わずに身と言うのはまだ浅いと考えたが、それは古い言葉の用法を取り違えているにすぎない。古には身と心を対にして言うことはなかった。およそ身と言えば、みな自分自身を指す。自分自身がどうして心を外にしていようか。孟子は「(徳は)顔色に生じて潤いをたたえ、顔に現れ、背中にあふれ、手足に行き渡り、手足は言わずとも意を伝える」と言った。これは徳のありさまを描いた言葉である。ただ心に得るだけのことを言ったのではない。もちろん言葉を巧みにし顔つきをよくするだけでは徳とは言えない。しかし、ただ心に得るだけというのも、誤りは同じである。しかも礼楽によらず心によって徳を得ようとするのは、まさに「学ばず術なし」というものだ。先王や孔子が人を教えた道に従うことを知らないからである。
解説
この章句が説くこと
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