慎思録 / 巻之四
今之講經者。捨音注而不讀。且先注而後經者。何也。葢音注。在本注之首。先欲明其字義也。不可廢。先注後經。則注釋體突。而經義晦矣。可謂物無本末。而不知所先後也。
新字:今之講経者。捨音注而不読。且先注而後経者。何也。葢音注。在本注之首。先欲明其字義也。不可廃。先注後経。則注釈体突。而経義晦矣。可謂物無本末。而不知所先後也。
書き下し
今の経を講ずる者、音注を捨てて読まず。且つ注を先にして経を後にする者は何ぞや。蓋し音注は本注の首に在り、先づ其の字義を明らかにせんと欲するなり。廃すべからず。注を先にし経を後にすれば、則ち注釈体突して、経義晦し。物に本末無くして、先後する所を知らずと謂ふべきなり。
現代語訳
今の経書を講じる者は、字音の注を捨てて読みません。また注釈を先にして経文を後にするのは、なぜでしょうか。字音の注は本来の注の初めにあって、まずその字の意味を明らかにしようとするものです。捨ててはいけません。注釈を先にして経文を後にすれば、注釈が前に突き出て、経文の意味がかえって暗くなります。物事の本末を取り違え、何を先にし何を後にするかを知らないと言うべきです。
解説
経書の講義で、字音の注を読み飛ばしたり、注釈を先に読んで経文を後回しにしたりする風潮を批判した条です。音注は字の意味を正す基礎であり、注釈はあくまで経文を理解するための補助であるのに、順序が逆になれば経文そのものの意味が見えなくなると益軒は言います。結びは『大学』の「物に本末有り、事に終始有り。先後する所を知れば則ち道に近し」を踏まえています。解説書や要約ばかり読んで原典に当たらない学び方への警告は、情報の一次資料を大切にする姿勢の重要性を教えてくれます。
この章句が説くこと
読書経書本末注釈原典
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