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都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段

答、汝ノイヘル所ハ、枝葉ニカヽハリ、文字ノ沙汰ニテ、本ヲ失セリ、君子ハ本ヲツトムト云、萬事ニ涉テカクノゴトシ、先初學ノ者ハ、本末知ルヲ先務トスベシ、末ニ至テハ、繁多ニシテ分レ難シ、天地有テ物ヲ生ジ、物生ジテ後ニ名アリ、名有テ後、文字ヲ加テ名ヲ書ス、文字ハ伏羲ノ後、倉頡ガ作ト云ニ非ヤ、イマダ名モ附ケズ、文字モ無前ヨリ天道アリ、天道トイヘドモ、人有テ付タル名ナリ、我云所ヲ、名ヲ離レテ聞ベシ、既ニ聖人ハ仁ヲ本トナシ、老子ハ大道ヲ以テ仁ノ本トナシ、道ト仁ト名ハ二ッナリ、文字ニ依テ、何レガ本ト論議分ルベキヤ、無聲無臭シテ、萬物ノ體ト成ル物ヲ、暫名ヅケテ、乾トモ天トモ、道トモ理トモ、命トモ性トモ、

新字:答、汝ノイヘル所ハ、枝葉ニカヽハリ、文字ノ沙汰ニテ、本ヲ失セリ、君子ハ本ヲツトムト云、万事ニ渉テカクノゴトシ、先初学ノ者ハ、本末知ルヲ先務トスベシ、末ニ至テハ、繁多ニシテ分レ難シ、天地有テ物ヲ生ジ、物生ジテ後ニ名アリ、名有テ後、文字ヲ加テ名ヲ書ス、文字ハ伏羲ノ後、倉頡ガ作ト云ニ非ヤ、イマダ名モ附ケズ、文字モ無前ヨリ天道アリ、天道トイヘドモ、人有テ付タル名ナリ、我云所ヲ、名ヲ離レテ聞ベシ、既ニ聖人ハ仁ヲ本トナシ、老子ハ大道ヲ以テ仁ノ本トナシ、道ト仁ト名ハ二ッナリ、文字ニ依テ、何レガ本ト論議分ルベキヤ、無声無臭シテ、万物ノ体ト成ル物ヲ、暫名ヅケテ、乾トモ天トモ、道トモ理トモ、命トモ性トモ、

書き下し

答ふ、汝のいへる所は、枝葉にかかはり、文字の沙汰にて、本を失へり。君子は本をつとむと云ふ。万事に渉りてかくのごとし。先づ初学の者は、本末知るを先務とすべし。末に至りては、繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ、物生じて後に名あり。名有りて後、文字を加へて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云ふに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無き前より天道あり。天道といへども、人有りて付けたる名なり。我が云ふ所を、名を離れて聞くべし。既に聖人は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり。文字に依りて、何れが本と論議分るべきや。声も無く臭も無くして、万物の体と成る物を、暫く名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、

現代語訳

梅岩は答えました。「あなたの言うことは枝葉にこだわり、文字の詮索に終始して、根本を見失っています。君子は根本に努めると言います。何事もそうです。学び始めの者は、まず本と末を見分けることを第一にすべきです。末のほうは数が多く、分けきれません。天地があって物が生まれ、物が生まれて後に名がつき、名がついて後に文字でそれを書きました。文字は伏羲の後に倉頡が作ったと言うではありませんか。まだ名もなく文字もない前から天の道はありました。天道というのも、人がいてつけた名です。わたしの話は、名を離れて聞いてください。聖人は仁を根本とし、老子は大道を仁の根本としました。道と仁と、名は二つです。文字をたよりに、どちらが根本かを論じて決められるでしょうか。声も匂いもなく、万物の本体となっているものを、仮に名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、」

解説

梅岩は定義の争いに乗らず、名と実の順序を示します。天地があり、物が生まれ、名がつき、最後に文字がくる。文字は伏羲の後に倉頡が作ったという伝承を引き、文字以前から天道はあったのだから、文字で本体を裁くのは順序が逆だと言うのです。「君子は本を務む」は論語学而篇、「声も無く臭も無し」は中庸末章に引く詩経の句です。独学で古典を読み、自分の体験で確かめた梅岩らしい論法で、経書の用語を使いながら、用語の奥にある一つのものを見よと求めています。

この章句が説くこと

本末文字天道

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