司馬法 / 嚴位
凡大善用本,其次用末,執略守微,本末唯權,戰也。
新字:凡大善用本,其次用末,執略守微,本末唯権,戦也。
書き下し
凡そ大善は本を用い、其の次は末を用う。略を執り微を守り、本末は唯(た)だ権(はか)るのみ、戦なり。
現代語訳
最善の策は物事の根本を押さえて用いることであり、次善は枝葉を用いることである。大略を押さえながら細部にも気を配り、根本と枝葉のどちらを重んじるかをその都度見極めること、それが戦いというものである。
解説
最も優れたやり方は物事の根本を押さえることであり、次善は枝葉の工夫に及ぶことだと司馬法は言う。ただし根本だけを見て細部を疎かにしてよいわけではなく、大きな方針を保ちながら細かな点にも目を配り、根本と枝葉のどちらに重きを置くかをその都度見極めることこそが、実際の戦いだとされる。仕事でも本質的な課題と目先の作業のどちらに時間を割くか、常に問われている。
この章句が説くこと
本末優先順位権衡
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