司馬法 / 嚴位
凡大善用本,其次用末,執略守微,本末唯權,戰也。
新字:凡大善用本,其次用末,執略守微,本末唯権,戦也。
書き下し
凡そ大善は本を用い、其の次は末を用う。略を執り微を守り、本末は唯(た)だ権(はか)るのみ、戦なり。
現代語訳
最善の策は物事の根本を押さえて用いることであり、次善は枝葉を用いることである。大略を押さえながら細部にも気を配り、根本と枝葉のどちらを重んじるかをその都度見極めること、それが戦いというものである。
解説
最も優れたやり方は物事の根本を押さえることであり、次善は枝葉の工夫に及ぶことだと司馬法は言う。ただし根本だけを見て細部を疎かにしてよいわけではなく、大きな方針を保ちながら細かな点にも目を配り、根本と枝葉のどちらに重きを置くかをその都度見極めることこそが、実際の戦いだとされる。仕事でも本質的な課題と目先の作業のどちらに時間を割くか、常に問われている。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
本末優先順位権衡
関連する章句
-
言志四録・言志耋録 第百六十八条 本に似たる末事に本末有ること、固より已に分明なり。但だ本に似たるの末有り、末に似たるの本有り。察を致さざるべからず。
-
『武治提要』明事物・第4段事物を明にするの道、其本末を知こと先務なり。本末は紀綱の大旨なり、大旨なつて而後其綱目以て審なることを得べし。然れどもこれをなすに準繩あらざるときは、本末亦分べからず。本を末とし、末を本とするときは、大旨亂る。故に條理を分の規矩は、兵法の蘊奧なり。此規矩一たびふるゝときは、萬物の綱目これより分つこと易く、其至るに及では明辨の成功をなすに近し。
-
『文武訓』文訓下之末一学者、無用のことをば多く知りて、有用のことを知らざること多し。有用の事をばなさずして、無用のことをなすこと多し。おやにうとくして他人の交したしきあり、急なることはさし置きて、不急なることをつとむ。聖賢の書はつねに読まず、雑書を多く読む。日本の書にうとく、中夏の古事を専に知る、皆是本末緩急を失へり。
-
『翁問答』上卷之末体充曰、左様候はゞ武芸文芸はいらぬものにて御座候や。師の曰、それは悪しき心得にて候本を捨てゝ末ばかりを求め学ぶ僻事なりといふ事にて候、根本の仁義を立ての上に文芸武芸に長じぬるは、本末兼備はる多能の君子にて、世俗の諺にいへる花も実もある人なり、本立つての上には文芸武芸ことのほか重宝なり、本末先後のこゝろへ簡要にて候。体充曰、本末兼備はる事ならざるものは、いかゞ仕り候はんや。師の曰、末を捨てゝ本を学びたるがよく候、文芸をしらずして文道をよく行ひ、武芸をしらずして武功を樹てたる人古来多し、これみな本を第一に勤めたる故にて候、よくよく心得べき事なり。
-
『墨子』修身君子は、戰に陳有りと雖も、勇を本と為す。喪に禮有りと雖も、哀を本と為す。士に學有りと雖も、行を本と為す。是の故に本を置くこと安からざる者は、末を豐かにするを務むること無かれ。近き者親しまざれば、逺きを來すを務むること無かれ。親戚附かざれば、外交を務むること無かれ。事に始め無ければ、終に多業を務むること無かれ。物を舉げて闇ければ、博聞を務むること無かれ。是の故に先王の天下を治むるや、必ず邇きを察して逺きを來す。君子は邇きを察して邇き修まる者なり。修めざる行を見、毁を見て、之を身に反す者なり。此を以て怨み省かれて行い修まる。譖慝の言は、之を耳に入るること無く、批扞の聲は、之を口に出だすこと無く、人を殺傷するの孩は、之を心に存すること無くんば、詆訐の民有りと雖も、依る所無からん。故に君子は事に力めて日に彊く、願欲は日に逾え、設壯は日に盛んなり。君子の道や、貧しければ則ち亷を見わし、富めば則ち義を見わし、生けば則ち愛を見わし、死すれば則ち哀を見わす。四行なる者は虚假す可からず、之を身に反す者なり。心に蔵する者は以て愛を竭くすこと無く、身に動く者は以て恭を竭くすこと無く、口に出づる者は以て馴を竭くすこと無し。之を四支に暢べ、之を肌膚に接し、華髮隳巔にして猶お舎てざる者は、其れ唯だ聖人か。
-
『徂徠先生答問書』卷下一慎終追遠とは、先王制礼の意を説候語に候。今日受用の為の語にては無之候。一御文章とも被遣候。皆宋学に候故直し可進様無御座候。一蘐園随筆は、不佞未熟の時の書に候。御用被成間敷候。仁斎闇斎などの書必々御覧被成間敷候。只々末を御捨候て本を御学候事専要に候。以上。