慎思録 / 巻之四
學者苟於小學書之文義有通曉。則恐四書六經之文字。亦漸可以類推而通曉。然則此書豈特爲修身之大法而巳耶。抑亦可以爲讀群經之階梯。
新字:学者苟於小学書之文義有通暁。則恐四書六経之文字。亦漸可以類推而通暁。然則此書豈特為修身之大法而巳耶。抑亦可以為読群経之階梯。
書き下し
学者苟も小学書の文義に於て通暁する有らば、則ち恐らくは四書六経の文字も、亦た漸く以て類推して通暁すべし。然らば則ち此の書は豈に特だ修身の大法為るのみならんや。抑も亦た以て群経を読むの階梯と為すべし。
現代語訳
学ぶ者がもし『小学』の文章の意味に通じれば、おそらく四書六経の文字も、しだいに類推して理解できるようになるでしょう。そうであれば、この書はただ修身の大法であるだけではありません。さらに多くの経書を読むための階段にもなるのです。
解説
朱子が編んだ『小学』は、日常の礼儀や修身を説く初学者向けの書で、江戸時代には朱子学の入門書として広く読まれました。益軒はこの書を、修身の手本であるだけでなく、四書六経を読むための文章力を養う「階梯」、つまり階段でもあると評価します。益軒自身も『小学』の和訳を著すなど、その普及に努めました。基礎の本をしっかり読み込むことが、より難しい本への足がかりになるという指摘は、どの分野の学びにも通じる、段階を踏んで学ぶことの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
小学修身読書階梯基礎
関連する章句
-
論語・八佾篇子夏問いて曰く、「巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは、何の謂ぞや」と。子曰く、「絵事は素より後にす」と。曰く、「礼は後か」と。子曰く、「予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ」と。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子、東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす。故に海に觀る者は、水を為し難く、聖人の門に遊ぶ者は、言を為し難し。水を觀るに術有り、必ず其の瀾(ラン)を觀る。日月明有り、容光必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
-
『驢鞍橋』卷下夜話に曰く、小僧共は先つ法門より教へ度也。法門にて意のすべを知らすること易きなり。実に承当さすることは難し。習ひ事は暫時に成ること也。今時のずりさがり、法門を習はせんよりは、せめてすべなりとも能く知らせ度、只うはかゝのやうに念仏したるもよけれとも、其でも亦人の為めに成りかたし。意のすべをも心得たるが好き也。良有て曰く、乍去意何程移りたりとも、糞袋秘蔵の念は休むべからすと也。
-
李衛公問対・卷下兵の學を習うは、必ず先ず下より以て中に及び、中より以て上に及べば、則ち漸くにして深し。然らざれば、則ち空言を垂れ、徒に記誦するのみにて、取るに足らざるなり。
-
尚書・太甲下高きに升るには必ず下よりし、遐きに陟るには必ず邇きよりす。
-
伝習録・陸澄録問う、「知識、長進せず。如何」と。先生曰く、「学を為すには須らく本原有るべし。須らく本原の上より力を用い、漸漸として『科に盈ちて進む』べし。仙家の嬰児を説くも、亦た善き譬えなり。嬰児は母の腹に在る時、只だ是れ純気なり。何の知識か有らん。胎を出でて後、方に始めて能く啼く。既にして後に能く笑う。又た既にして後に能く其の父母兄弟を認識す。又た既にして後に能く立ち、能く行き、能く持し、能く負う。卒に乃ち天下の事、能くすべからざる無し。皆な是れ精気日々に足れば、則ち筋力日々に強く、聡明日々に開くなり。是れ胎を出づる日に便ち講求推尋し得来たるに非ず。故に須らく個の本原有るべし。聖人の『天地を位せしめ、万物を育す』るに到るも、也只だ『喜怒哀楽未発の中』の上より養い来たる。後儒は格物の説に明らかならず、聖人の知らざる無く、能くせざる無きを見て、便ち初めて手を下す時に於て講求し尽くさんと欲す。豈に此の理有らんや」と。又た曰く、「志を立て功を用うるは、樹を種うるが如く然り。方に其の根芽なるや、猶お未だ有らず。其の幹有るに及びても、尚お未だ枝有らず。枝ありて後に葉あり、葉ありて後に花実あり。初め根を種うる時は、只管(ひたす)ら栽培灌漑せよ。枝の想を作す勿かれ。葉の想を作す勿かれ。花の想を作す勿かれ。実の想を作す勿かれ。懸想して何の益かあらん。但だ栽培の功を忘れずんば、枝・葉・花・実の有ること無きを怕(おそ)れんや」と。