慎思録 / 巻之四
張子曰。六經須循環理會。義理儘無窮。待自家長得一格。則又見得別。愚謂。讀經須循環。是讀經之要訣。凡讀六經語孟。須終身循環不已。學者之於六經四書。識見愈進。則覺義理愈精深。故義理之精粗淺深。隨各所見之力量。所謂讀之愈久。但覺意味深長也。儘字、五侯鯖字海曰、音燼、可有也、義理儘無窮、言義理可有無窮也。
新字:張子曰。六経須循環理会。義理儘無窮。待自家長得一格。則又見得別。愚謂。読経須循環。是読経之要訣。凡読六経語孟。須終身循環不已。学者之於六経四書。識見愈進。則覚義理愈精深。故義理之精粗浅深。随各所見之力量。所謂読之愈久。但覚意味深長也。儘字、五侯鯖字海曰、音燼、可有也、義理儘無窮、言義理可有無窮也。
書き下し
張子曰く、六経は須らく循環して理会すべし。義理は儘く窮まり無し。自家の長じて一格を得るを待てば、則ち又別を見得ん、と。愚謂へらく、経を読むに循環すべきは、是れ読経の要訣なり。凡そ六経語孟を読むは、須らく終身循環して已まざるべし。学者の六経四書に於けるや、識見愈進めば、則ち義理の愈精深なることを覚ゆ。故に義理の精粗浅深は、各見る所の力量に随ふ。所謂之を読むこと愈久しければ、但だ意味の深長なることを覚ゆるなり。儘の字、五侯鯖字海に曰く、音は燼、有るべきなり、と。義理儘く窮まり無しとは、義理窮まり無きこと有るべきを言ふなり。
現代語訳
張載は「六経は繰り返しめぐって理解すべきである。義理には尽きるところがない。自分が成長して一段上がるのを待てば、また別のものが見えてくる」と言いました。私が思うに、経書を繰り返しめぐって読むのは、経書を読む要訣です。六経や『論語』『孟子』を読むには、一生繰り返して止めてはなりません。学ぶ者が六経や四書に向き合うとき、見識が進むほど、義理がいよいよ精しく深いことを感じます。ですから義理の精粗や浅深は、それぞれの見る力量に従います。いわゆる「読むことが久しいほど、ただ意味の深く長いことを感じる」ということです。「儘」の字は、『五侯鯖字海』に「音は燼、あるべしの意」とあります。「義理儘無窮」とは、義理には尽きるところがないはずだ、という意味です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『後世への最大遺物』第二回・水の辺りに植えたる樹のようにこの心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き、枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような、少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。こういう生涯を送らんことは実に私の最大希望でございまして、私の心を毎日慰め、かついろいろのことをなすに当って私を励ますことであります。それで私のなお一つの題の「真面目ならざる宗教家」というのは、時間がありませぬからここに述べませぬ。述べませぬけれども、しかしながら私の精神のあるところは、皆様に十分お話しいたしたと思います。
-
論語・子罕篇子曰く、苗にして秀でざる者有るかな。秀でて実らざる者有るかな。
-
論語・為政篇子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。
-
説苑・善說趙簡子成摶に問いて曰く、「吾聞く夫の羊殖なる者は賢大夫なりと、是の行い奚如。」對えて曰く、「臣摶知らざるなり。」簡子曰く、「吾之を聞くに子友として親しむと。子にして知らざるは何ぞや。」摶曰く、「其の人と爲りや數々變ず。其の十五なるや、廉にして以て其の過ちを匿さず。其の二十なるや、仁にして以て義を喜ぶ。其の三十なるや、晉の中軍尉と爲り、勇にして以て仁を喜ぶ。其の年五十なるや、邊城の將と爲り、遠き者復た親しむ。今臣見ざること五年なり。其の變ぜんことを恐る、是を以て敢えて知らざるなり。」簡子曰く、「果たして賢大夫なり、變ずる每に上を益す。」
-
老子・第50章生に出でて死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒は十に三有り、人の生きて之を死地に動かすも亦た十に三有り。夫れ何の故ぞ。其の生を生とすることの厚きを以てなり。蓋し聞く、善く生を摂する者は、陸行して兕虎に遇わず、軍に入りて甲兵を被らず。兕は其の角を投ずる所無く、虎は其の爪を措く所無く、兵は其の刃を容るる所無し。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。
-
『驢鞍橋』卷上一日謂衆曰く、其方達此前に合せては、世間を分別する事如何程薄く成りたるや、誠に目出度善根を持ち来れり。乍去如何程使ひ得んや、心元なしと也。