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後世への最大遺物 / 第二回・水の辺りに植えたる樹のように

この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。こういう生涯を送らんことは実に私の最大希望でございまして、私の心を毎日慰め、かついろいろのことをなすに当って私を励ますことであります。それで私のなお一つの題の「真面目ならざる宗教家」というのは時間がありませぬからここに述べませぬ。述べませぬけれども、しかしながら私の精神のあるところは皆様に十分お話しいたしたと思います。

書き下し

この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き、枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような、少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。こういう生涯を送らんことは実に私の最大希望でございまして、私の心を毎日慰め、かついろいろのことをなすに当って私を励ますことであります。それで私のなお一つの題の「真面目ならざる宗教家」というのは、時間がありませぬからここに述べませぬ。述べませぬけれども、しかしながら私の精神のあるところは、皆様に十分お話しいたしたと思います。

現代語訳

この心がけをもって毎年毎日進んでいけば、私たちの生涯は決して五十年や六十年の生涯ではなく、実に水のほとりに植えた樹のように、だんだん芽を吹き、枝を伸ばしていくものだと思います。決して竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような、少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。こういう生涯を送ることは実に私の最大の望みで、私の心を毎日慰め、いろいろなことをなすにあたって私を励ますものです。私のもう一つの題である真面目ならざる宗教家については、時間がありませんのでここでは述べません。述べませんが、私の精神のあるところは皆様に十分お話ししたと思います。

解説

詩篇の一節を下敷きにした、水のほとりの樹の比喩で生涯が描かれます。毎年毎日の積み重ねが、切れ目なく伸びていくもの。対比として置かれるのが、竹に木を接ぐような継ぎはぎの生涯で、方針がその都度変わって育たない生き方を指しています。一貫した方向を持つかどうかが、五十年で終わる生涯と、伸び続ける生涯を分ける。最大遺物の話が、日々の心がけという最小の単位に落ちて終わります。

この章句が説くこと

成長一貫日々生涯比喩

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この一句を、あなたの毎日に。

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