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慎思録 / 巻之四

四書注。有種千百年眼者。不足觀。復有張燧千百年眼。與四書注不同。其中有太王未嘗剪商之說。謂說文引詩作實始戩商。解云。戩福也。葢謂太王始受福於商。而大其國爾。其辨證分明。又有左氏非左丘明之說。亦考證明白。且李密陳情表有少仕僞朝之句。責備者。謂其篤於孝而妨於忠。嘗見佛書引此文。僞朝爲荒朝。葢密之初文也。僞朝字。葢晋改之以入史耳。張燧之論事。其可取者如此。然如論朱陸異同。且宗師王陽明。可見其學術不正也。唯如前所擧三證。不以其人廢其言而可也。

新字:四書注。有種千百年眼者。不足観。復有張燧千百年眼。与四書注不同。其中有太王未嘗剪商之説。謂説文引詩作実始戩商。解云。戩福也。葢謂太王始受福於商。而大其国爾。其弁証分明。又有左氏非左丘明之説。亦考証明白。且李密陳情表有少仕偽朝之句。責備者。謂其篤於孝而妨於忠。嘗見仏書引此文。偽朝為荒朝。葢密之初文也。偽朝字。葢晋改之以入史耳。張燧之論事。其可取者如此。然如論朱陸異同。且宗師王陽明。可見其学術不正也。唯如前所挙三証。不以其人廃其言而可也。

書き下し

四書注、千百年眼を種うる者有るも、観るに足らず。復た張燧の千百年眼有り、四書注と同じからず。其の中に太王未だ嘗て商を剪らずの説有り。謂ふこころは、説文に詩を引きて実始戩商に作る。解に云ふ、戩は福なり、と。蓋し太王始めて福を商より受けて、其の国を大にすることを謂ふ、と。其の弁証分明なり。又左氏は左丘明に非ずの説有り、亦た考証明白なり。且つ李密の陳情表に少くして偽朝に仕ふの句有り。責備する者は、其の孝に篤くして忠を妨ぐと謂ふ。嘗て仏書に此の文を引くを見るに、偽朝を荒朝と為す。蓋し密の初文なり。偽朝の字は、蓋し晋之を改めて以て史に入るるのみ。張燧の事を論ずる、其の取るべき者此の如し。然れども朱陸の異同を論じ、且つ王陽明を宗師とするが如き、其の学術の正しからざるを見るべきなり。唯だ前に挙ぐる所の三証の如きは、其の人を以て其の言を廃せずして可なり。

現代語訳

四書の注で『千百年眼』の見方を種とするものがありますが、見るに足りません。また張燧の『千百年眼』という書があり、四書の注とは違う説を述べています。その中に「太王はかつて商を滅ぼそうとしたことはない」という説があります。その意味は、『説文』は『詩経』を引いて「実始戩商」と書いており、解説に「戩は福である」とある、つまり太王が初めて商から福を受けてその国を大きくしたことを言うのだ、というものです。その論証ははっきりしています。また「『左氏伝』の作者は左丘明ではない」という説もあり、これも考証が明白です。さらに李密の「陳情表」に「若くして偽りの朝廷に仕えた」という句があり、完全を求める者は、孝に厚くて忠を妨げたと言います。以前、仏書にこの文を引いているのを見たところ、「偽朝」を「荒朝」としていました。これは李密のもとの文でしょう。「偽朝」の字は、晋が改めて歴史書に入れたのでしょう。張燧の論じ方には、このように取るべきところがあります。しかし朱子と陸九淵の異同を論じ、さらに王陽明を師と仰いでいるのは、その学術が正しくないことがわかります。ただ前に挙げた三つの考証については、その人柄のゆえにその言葉を捨てないでおくのがよいのです。

解説

明の張燧『千百年眼』を評した条です。『詩経』魯頌閟宮の「実始翦商」を『説文』の引く「戩商」から読み直す説、『左伝』の作者を疑う説、李密「陳情表」の「偽朝」が本来「荒朝」だったという説の三つを、考証が明快だと評価します。一方で張燧が王陽明を宗とする点は学術が正しくないと批判しつつ、『論語』衛霊公篇の「人を以て言を廃せず」の精神で良い説は取ると結びます。立場の異なる相手の意見でも、正しい部分は認めて取り入れるという公正さは、議論や評価の場で大切な姿勢です。

この章句が説くこと

考証公正読書学術陽明学

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