慎思録 / 巻之四
治民者。先養而後敎之。孟子曰。養而不敎。畜之養也。迨不從敎而刑之。孔子曰。不敎而殺。謂之虐。故治民者。養敎刑三者。不可闕其一。而其施爲之序。亦當如此。譬如育子然。育子者。先養之而後敎之。敎而不從。然後撻之。求其從敎也。苟不敎而撻之。可謂不慈矣。治民育子。其理一也。
新字:治民者。先養而後教之。孟子曰。養而不教。畜之養也。迨不従教而刑之。孔子曰。不教而殺。謂之虐。故治民者。養教刑三者。不可闕其一。而其施為之序。亦当如此。譬如育子然。育子者。先養之而後教之。教而不従。然後撻之。求其従教也。苟不教而撻之。可謂不慈矣。治民育子。其理一也。
書き下し
民を治むる者は、先づ養ひて而る後に之を教ふ。孟子曰く、養ひて教へざるは、之を畜の養ふなり、と。教へに従はざるに迨んで之を刑す。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。故に民を治むる者は、養教刑の三者、其の一を闕くべからず。而して其の施為の序も、亦た当に此の如くなるべし。譬へば子を育つるが如く然り。子を育つる者は、先づ之を養ひて而る後に之を教ふ。教へて従はず、然る後に之を撻つ。其の教へに従はんことを求むるなり。苟も教へずして之を撻てば、慈ならずと謂ふべし。民を治むると子を育つると、其の理一なり。
現代語訳
民を治める者は、まず養い、その後に教えます。孟子は「養って教えないのは、家畜を養うようなものだ」と言いました。教えに従わなくなって初めて刑罰を加えます。孔子は「教えずに殺すのを虐という」と言いました。ですから民を治める者は、養うこと・教えること・罰することの三つのうち、一つも欠かしてはならず、その施す順序もこのようであるべきです。子を育てるのにたとえられます。子を育てる者は、まず養ってから教え、教えて従わなければ、その後に打ちます。それは教えに従ってほしいからです。もし教えずに打てば、慈しみがないと言うべきです。民を治めることと子を育てることは、その理が一つです。
解説
政治の順序を「養→教→刑」とまとめた条です。『孟子』尽心上の「食ひて愛せざるは之を豕交す」に近い言葉や、『論語』堯曰篇の「教へずして殺す、之を虐と謂ふ」を引き、まず生活を安定させ、次に教え、それでも従わない者だけを罰するのが正しい順序だと言います。そして民を治めることを子育てにたとえ、教えずに叱るのは慈しみがないと結びます。部下に注意するとき、そもそも必要な環境を与え、きちんと教えたかを先に問うという姿勢は、組織運営にもそのまま通じます。
この章句が説くこと
教養刑治民慈
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