慎思録 / 巻之四
人之禀命於天也。其資各有厚薄崇卑。故富貴貧賤吉凶禍福。皆繫於天。其禀受也。自有定分。不可遷移。唯須行法安靜。以俟天命而巳矣。昧者不達此理。以爲人力可移奪。故常自僥倖。貪求富貴。厭惡貧賤。此繇不知命而失義也。然求之而不能得。避之而不能免。徒費心力而巳。故孔子曰。不知命。無以爲君子也。
新字:人之禀命於天也。其資各有厚薄崇卑。故富貴貧賤吉凶禍福。皆繋於天。其禀受也。自有定分。不可遷移。唯須行法安静。以俟天命而巳矣。昧者不達此理。以為人力可移奪。故常自僥倖。貪求富貴。厭悪貧賤。此繇不知命而失義也。然求之而不能得。避之而不能免。徒費心力而巳。故孔子曰。不知命。無以為君子也。
書き下し
人の命を天に禀くるや、其の資各厚薄崇卑有り。故に富貴貧賤吉凶禍福は、皆天に繋る。其の禀受するや、自ら定分有りて、遷し移すべからず。唯だ須らく法を行ひ安静にして、以て天命を俟つべきのみ。昧き者は此の理に達せず、以為へらく人力移し奪ふべし、と。故に常に自ら僥倖し、富貴を貪り求め、貧賤を厭ひ悪む。此れ命を知らずして義を失ふに繇るなり。然れども之を求めて得ること能はず、之を避けて免るること能はず。徒らに心力を費やすのみ。故に孔子曰く、命を知らざれば、以て君子為ること無きなり、と。
現代語訳
人が天から命を受けるとき、その素質にはそれぞれ厚い薄い、高い低いがあります。ですから富貴や貧賤、吉凶や禍福は、みな天にかかっています。受けたものにはおのずから定まった分があり、動かすことはできません。ただ正しい道を行い、心を静かにして、天命を待つべきなのです。道理に暗い者はこの理がわからず、人の力で動かし奪うことができると考えます。そこでいつも自分で思いがけない幸運を当てにし、富貴を貪り求め、貧賤を嫌います。これは命を知らず、義を失っているからです。しかし求めても得られず、避けても免れず、いたずらに心と力を費やすだけです。だから孔子は「命を知らなければ、君子であることはできない」と言いました。
解説
富貴や禍福には天が定めた分があり、人の力で無理に動かすことはできないと説く条です。だから正しい道を行って心を静め、天命を待てと益軒は言います。「法を行ひて以て命を俟つ」は『孟子』尽心下の言葉、結びの「命を知らざれば以て君子為ること無し」は『論語』堯曰篇の最終章です。これは努力を捨てよということではなく、自分の分を超えた欲や焦りで義を失うなという戒めです。結果を思い通りにしようと焦るより、やるべきことをやって結果を受け入れる姿勢は、心の平安と誠実な仕事の両方を支えます。
この章句が説くこと
命天命義分安静
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