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都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段

古人ハ道德明ナルユヘニ、人是ヲ感心シテ、宮寺ヲ建立セシコトヽ相見ユ、然レバ今日ニテモ、道德アキラカニシテ、人ヲ敎導キ、旦那モ此人ノ敎ニヨリテ、心モ安樂ニ成リ、又生死疑ヒナクナラバ、其人奉加帳ハ出サズトモ、如何ヤウノ社堂ニテモ建ベシ、古今トモニ、人ノ心ハ天ノ命ズル所ナリ、何ゾ替リアランヤ、又宮寺ノ奉加ト云フトモ、毛筋ホドモ人欲勝手アラバ、此不義ノ類ナリ、汝ノ親方ノ正キ心ニテ、其不義ニ與センヤ、奉加ニツカザルニハアラズ、只不義ニ與セザルナリ、死後何ニ生ント思フ心、ナンゾ有ランヤ、今日ノ義ヲ行ヒ、明日ノコトハ、天命ニマカス志シト見ヘタリ、孟子曰、夭壽不貳、脩身以俟之ト、來ルモ天ニ任、歸ルモ亦天ニ任ス、此間ニ私意ヲ入レンヤ、當世ニ異ナルニハアラズ、當世ノ人ガ、法式ヲ越、聖人ノ敎ニ異ナリ、汝ノ今ノ親方ハ、聖人敎ヲ能守レル人ナリ、

新字:古人ハ道徳明ナルユヘニ、人是ヲ感心シテ、宮寺ヲ建立セシコトヽ相見ユ、然レバ今日ニテモ、道徳アキラカニシテ、人ヲ教導キ、旦那モ此人ノ教ニヨリテ、心モ安楽ニ成リ、又生死疑ヒナクナラバ、其人奉加帳ハ出サズトモ、如何ヤウノ社堂ニテモ建ベシ、古今トモニ、人ノ心ハ天ノ命ズル所ナリ、何ゾ替リアランヤ、又宮寺ノ奉加ト云フトモ、毛筋ホドモ人欲勝手アラバ、此不義ノ類ナリ、汝ノ親方ノ正キ心ニテ、其不義ニ与センヤ、奉加ニツカザルニハアラズ、只不義ニ与セザルナリ、死後何ニ生ント思フ心、ナンゾ有ランヤ、今日ノ義ヲ行ヒ、明日ノコトハ、天命ニマカス志シト見ヘタリ、孟子曰、夭寿不貳、脩身以俟之ト、来ルモ天ニ任、帰ルモ亦天ニ任ス、此間ニ私意ヲ入レンヤ、当世ニ異ナルニハアラズ、当世ノ人ガ、法式ヲ越、聖人ノ教ニ異ナリ、汝ノ今ノ親方ハ、聖人教ヲ能守レル人ナリ、

書き下し

古人は道徳明らかなるゆへに、人是れを感心して、宮寺を建立せしことゝ相見ゆ。然れば今日にても、道徳あきらかにして、人を教へ導き、旦那も此の人の教へによりて、心も安楽に成り、又生死疑ひなくならば、其の人奉加帳は出さずとも、如何やうの社堂にても建つべし。古今ともに、人の心は天の命ずる所なり、何ぞ替りあらんや。又宮寺の奉加と云ふとも、毛筋ほども人欲勝手あらば、此れ不義の類なり。汝の親方の正しき心にて、其の不義に与せんや。奉加につかざるにはあらず、只不義に与せざるなり。死後何に生れんと思ふ心、なんぞ有らんや。今日の義を行ひ、明日のことは、天命にまかす志しと見えたり。孟子曰く、夭寿貳はず、身を修めて以て之を俟つと。来るも天に任せ、帰るも亦天に任す、此の間に私意を入れんや。当世に異なるにはあらず、当世の人が、法式を越え、聖人の教へに異なり。汝の今の親方は、聖人の教へを能く守れる人なり。

現代語訳

昔の人は道徳が明らかだったので、人々がそれに感心して寺社を建てたのだと見えます。ですから今日でも、道徳を明らかにして人を教え導き、檀家もその人の教えによって心が安らかになり、生死についての迷いもなくなれば、その人は寄付の帳面を出さなくても、どんな社や堂でも建つでしょう。昔も今も、人の心は天が命じるものです。何の違いがありましょう。また寺社への寄付と言っても、髪の毛一筋ほどでも私欲や身勝手があれば、それは不義のたぐいです。あなたの主人の正しい心で、その不義に加担するでしょうか。寄付に応じないのではなく、ただ不義に加わらないのです。死んだら何に生まれるかと思う心など、どうしてありましょう。今日の義を行い、明日のことは天命に任せる志と見えます。孟子は『早死にも長生きも気にかけず、身を修めてその時を待つ』と言いました。来るのも天に任せ、帰るのも天に任せる、その間に私心を入れるでしょうか。主人が当世と違っているのではありません。当世の人が決まりを越え、聖人の教えと違っているのです。あなたの今の主人こそ、聖人の教えをよく守っている人です。

解説

徳があれば帳面を回さなくても寺社は建つ、というのが梅岩の答えです。主人は寄付を拒んでいるのではなく、私欲の混じった不義に加わらないだけだと言います。死後の生まれ変わりのために善事を積むのではなく、今日なすべき義を行い、明日は天命に任せる。『孟子』尽心上の「夭寿貳はず、身を修めて以て之を俟つ」を引いて、この主人の生き方を支えます。人と違うのは主人ではなく、聖人の教えから外れた世間のほうだ、という逆転で段落が締めくくられます。

この章句が説くこと

天命奉加孟子道徳

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