師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之三

家姪好古病危篤時。示之曰。吾子之生死未可知也。而得爲人。得爲男子。得爲士而有祿。得父母倶存。且人生有未免襁褓而早夭者。吾子今既近于强仕之年。不可言凶短折。况讀聖賢之書。通和漢古今之事。著書數部。播名於四方乎。嗚呼其爲幸亦大哉。榮啓期之三樂。奚足以爲羨乎。既有義子。則父母之養。亦豈患不給乎。人固有年至耄期者。然其爲人也。不學而意愚。韓子曰。人不通古今。馬牛而襟裾。豈羨其長生耶。凡天地之間。有盛必有衰。有始必有終。有長壽者。有短夭者。皆是天之所命。各有分。是天地之理。物之自然。人之常道也。奚可哀耶。陶淵明曰。可盡便須盡。無復獨多慮。又曰。樂夫天命。復奚疑。可謂達者之言也。君子存則順事。沒則寧。此乃事天之道。終身之事。葢歸盡之際。君子一生之大事。一念有憾。則一世之功悉亡。最所當愼也。故易曰。日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。此聖人之敎戒也。故以告。

新字:家姪好古病危篤時。示之曰。吾子之生死未可知也。而得為人。得為男子。得為士而有禄。得父母倶存。且人生有未免襁褓而早夭者。吾子今既近于強仕之年。不可言凶短折。況読聖賢之書。通和漢古今之事。著書数部。播名於四方乎。嗚呼其為幸亦大哉。栄啓期之三楽。奚足以為羨乎。既有義子。則父母之養。亦豈患不給乎。人固有年至耄期者。然其為人也。不学而意愚。韓子曰。人不通古今。馬牛而襟裾。豈羨其長生耶。凡天地之間。有盛必有衰。有始必有終。有長寿者。有短夭者。皆是天之所命。各有分。是天地之理。物之自然。人之常道也。奚可哀耶。陶淵明曰。可尽便須尽。無復独多慮。又曰。楽夫天命。復奚疑。可謂達者之言也。君子存則順事。没則寧。此乃事天之道。終身之事。葢帰尽之際。君子一生之大事。一念有憾。則一世之功悉亡。最所当慎也。故易曰。日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。此聖人之教戒也。故以告。

書き下し

家姪好古病危篤の時、之に示して曰く、吾子の生死未だ知るべからず。而して人と為るを得、男子と為るを得、士と為りて禄有るを得、父母倶に存するを得。且つ人生未だ襁褓を免れずして早夭する者有り。吾子今既に強仕の年に近し。凶短折と言ふべからず。况んや聖賢の書を読み、和漢古今の事に通じ、書を著すこと数部、名を四方に播くをや。嗚呼其の幸為ること亦大なるかな。栄啓期の三楽、奚ぞ以て羨むに足らんや。既に義子有れば、則ち父母の養、亦豈に給せざるを患へんや。人固より年耄期に至る者有り。然れども其の人と為りや、学ばずして意愚なり。韓子曰く、人古今に通ぜざれば、馬牛にして襟裾す、と。豈に其の長生を羨まんや。凡そ天地の間、盛有れば必ず衰有り、始有れば必ず終有り。長寿の者有り、短夭の者有り。皆是れ天の命ずる所にして、各分有り。是れ天地の理、物の自然、人の常道なり。奚ぞ哀しむべけんや。陶淵明曰く、尽くべくんば便ち須らく尽くべし、復た独り多く慮ること無かれ、と。又曰く、夫の天命を楽しむ、復た奚をか疑はん、と。達者の言と謂ふべし。君子存すれば則ち順ひ事へ、没すれば寧し。此れ乃ち天に事ふるの道、終身の事なり。蓋し帰尽の際は、君子一生の大事なり。一念憾み有れば、則ち一世の功悉く亡ぶ。最も当に慎むべき所なり。故に易に曰く、日昃の離、缶を鼓ちて歌はざれば、則ち大耋の嗟あり、と。此れ聖人の教戒なり。故に以て告ぐ。

現代語訳

甥の好古が病で危篤になったとき、私はこう示しました。「あなたの生死はまだ分からない。しかしあなたは人として生まれ、男子として生まれ、士となって禄を得、父母もともに健在である。人生には産着を離れぬうちに早死にする者もいる。あなたは今すでに四十歳に近いのだから、不幸な早死にとはいえない。まして聖賢の書を読み、日本と中国の古今の事に通じ、書物を何部も著し、名を四方に広めたのだからなおさらだ。ああ、その幸いは大きい。栄啓期の三つの楽しみも、どうしてうらやむに足りよう。すでに養子がいるのだから、父母の世話が足りなくなる心配もない。人にはもちろん八、九十歳まで生きる者もいる。しかしその人柄は学ばずに愚かである。韓愈は『人が古今に通じなければ、衣を着た馬や牛だ』と言った。どうしてそのような長生きをうらやもうか。およそ天地の間では、盛んなものは必ず衰え、始めのあるものには必ず終わりがある。長生きする者もいれば早死にする者もいる。みな天の命じるところで、それぞれに分がある。これは天地の理であり、物の自然であり、人の常の道である。どうして哀しむことがあろう。陶淵明は『尽きるべきときは尽きるにまかせ、あれこれ思い悩むな』と言い、また『あの天命を楽しむ、何を疑うことがあろう』と言った。達人の言葉である。君子は生きている間は天に従って仕え、死ねば安らかである。これこそ天に仕える道であり、一生かけての事である。思うに、死に臨むときは君子一生の大事である。一念でも恨みを残せば、一生の功がすべて失われる。最も慎むべきところである。だから『易』に『日が傾いたときの離、缶を打って歌わなければ、老いの嘆きがある』とある。これは聖人の戒めである。だからこれを告げるのだ」。

解説

益軒の甥で、その学問を継ぐと期待された貝原好古(恥軒)が病に倒れたとき、益軒が与えた言葉です。好古は『和爾雅』などを著しましたが、益軒に先立って亡くなりました。栄啓期の三楽は『列子』天瑞篇、「尽くべくんば」は陶淵明「形影神」、「天命を楽しむ」は「帰去来辞」、「存すれば順ひ事へ」は張載「西銘」、日昃の離は『易』離卦九三です。生の恵みを数え、長短は天命とし、最期の一念を乱さないよう説く、悲しみの中の静かな励ましは、死と向き合う人への言葉として今も胸を打ちます。

この章句が説くこと

天命生死達観事天

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる