慎思録 / 巻之四
古昔本邦帝王之諸陵在畿内者。別作山陵。其高數丈。廣袤數十丈。其周匝作池。深濶者亦多矣。其輦土築封鑿池也。太勞民力。故中世以降無山陵。又如醍醐朱雀高倉帝之陵。無封墳。唯平地爲葬埋。人不能知其爲陵墓。孔子曰。古也墓而不墳。曾子曰。國奢則示之以儉。我邦帝陵有不封者。亦從此意耶。唐太宗及長孫皇后之爲葬制也。倶因山爲陵。鑿地容棺而巳。不勞民力。而爲崇高。此可爲良法。
新字:古昔本邦帝王之諸陵在畿内者。別作山陵。其高数丈。広袤数十丈。其周匝作池。深濶者亦多矣。其輦土築封鑿池也。太労民力。故中世以降無山陵。又如醍醐朱雀高倉帝之陵。無封墳。唯平地為葬埋。人不能知其為陵墓。孔子曰。古也墓而不墳。曽子曰。国奢則示之以倹。我邦帝陵有不封者。亦従此意耶。唐太宗及長孫皇后之為葬制也。倶因山為陵。鑿地容棺而巳。不労民力。而為崇高。此可為良法。
書き下し
古昔本邦の帝王の諸陵の畿内に在る者は、別に山陵を作る。其の高さ数丈、広袤数十丈、其の周匝に池を作り、深闊なる者も亦た多し。其の土を輦び封を築き池を鑿つや、太だ民力を労す。故に中世以降は山陵無し。又醍醐朱雀高倉帝の陵の如きは、封墳無く、唯だ平地に葬埋を為し、人其の陵墓為ることを知ること能はず。孔子曰く、古や墓して墳せず、と。曾子曰く、国奢れば則ち之に示すに倹を以てす、と。我が邦の帝陵に封ぜざる者有るも、亦た此の意に従ふか。唐の太宗及び長孫皇后の葬制を為すや、倶に山に因りて陵と為し、地を鑿ちて棺を容るるのみ。民力を労せずして崇高と為す。此れ良法と為すべし。
現代語訳
昔、わが国の帝王の陵で畿内にあるものは、特別に山のような陵を築きました。高さは数丈、広さは数十丈で、周りに池をめぐらし、深く広いものも多くあります。土を運んで塚を築き池を掘るのは、はなはだ民の力を費やしました。そのため中世以降は山陵がありません。また醍醐・朱雀・高倉天皇の陵のように、盛り土がなく、ただ平地に葬っただけで、人がそれを陵墓と知ることができないものもあります。孔子は「昔は墓を作っても盛り土はしなかった」と言い、曾子は「国が奢っていれば、倹約を示す」と言いました。わが国の帝陵に盛り土をしないものがあるのも、この意味に従ったのでしょうか。唐の太宗と長孫皇后の葬制は、どちらも自然の山を利用して陵とし、地を掘って棺を納めるだけでした。民の力を費やさずに高く尊いものとしたのです。これは良い方法とすべきです。
解説
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