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慎思録 / 巻之四

天下之善。至于中而極矣。非中。則過與不及而已。所以爲過失也。故執中爲止至善。人之過失。其品數固多矣。要其歸。不出乎過與不及二者而已。是執中者。所以爲聖人之心法也。

新字:天下之善。至于中而極矣。非中。則過与不及而已。所以為過失也。故執中為止至善。人之過失。其品数固多矣。要其帰。不出乎過与不及二者而已。是執中者。所以為聖人之心法也。

書き下し

天下の善は、中に至りて極まる。中に非ざれば、則ち過と不及とのみ。過失と為る所以なり。故に中を執るを至善に止まると為す。人の過失、其の品数固より多し。其の帰を要すれば、過と不及との二者に出でざるのみ。是れ中を執る者の、聖人の心法為る所以なり。

現代語訳

天下の善は、中に至って極まります。中でなければ、行き過ぎか足りないかのどちらかで、それが過失となるのです。ですから中を守ることを、最高の善にとどまることとします。人の過失にはもとよりさまざまな種類がありますが、その行き着くところをまとめれば、行き過ぎと足りないの二つを出ません。これが、中を守ることが聖人の心の法であるゆえんです。

解説

善の極みは「中」にあり、あらゆる過失は結局「過ぎる」か「及ばない」かのどちらかに帰着するという、簡潔で力強い条です。「中を執る」は『論語』堯曰篇や『書経』大禹謨の「允に厥の中を執れ」、「至善に止まる」は『大学』冒頭の言葉です。朱子学では、堯から舜、禹へと伝えられた「執中」を聖人の心法として重んじました。失敗を振り返るとき、やりすぎたのか足りなかったのかという二つの問いで整理できるという視点は、日々の仕事や人間関係の改善にすぐ使える実践的な考え方です。

この章句が説くこと

過不及心法執中

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