慎思録 / 巻之四
所以乖戾而失常者。然也。故陰陽雖有時而乖戾。天地之道。正而常者。自若而爲之主宰。故陰陽亦不能不歸其正。是以雖有陰陽不正之時。亦不可謂非天地之道也。明道曰。善惡皆天理。謂之惡者。本非惡。但或過或不及便如此。亦此意也。譬之穀肉食之美者也。而食之饐餲。肉之餒敗者。是穀肉之變而腐壞也。不可食。雖腐壞而不可食。謂之非穀肉。則不可也。然則小人之凶惡。陰陽之災沴。皆是爲天理之變而不正者也。天地之理。雖爲陰陽之主。然本是無心。不能節制陰陽。而使之適其宜。是以不能獨成位育之功。必有須聖人之栽成。聖人有心而維持此道。建中於民。中則無過不及之理。故中者聖人維持此道之心法也。聖人繼天立極。裁成天地之道。以輔相天地化育之所不及。
新字:所以乖戻而失常者。然也。故陰陽雖有時而乖戻。天地之道。正而常者。自若而為之主宰。故陰陽亦不能不帰其正。是以雖有陰陽不正之時。亦不可謂非天地之道也。明道曰。善悪皆天理。謂之悪者。本非悪。但或過或不及便如此。亦此意也。譬之穀肉食之美者也。而食之饐餲。肉之餒敗者。是穀肉之変而腐壊也。不可食。雖腐壊而不可食。謂之非穀肉。則不可也。然則小人之凶悪。陰陽之災沴。皆是為天理之変而不正者也。天地之理。雖為陰陽之主。然本是無心。不能節制陰陽。而使之適其宜。是以不能独成位育之功。必有須聖人之栽成。聖人有心而維持此道。建中於民。中則無過不及之理。故中者聖人維持此道之心法也。聖人継天立極。裁成天地之道。以輔相天地化育之所不及。
書き下し
乖戻して常を失ふ所以の者は然るなり。故に陰陽時有りて乖戻すと雖も、天地の道、正にして常なる者は、自若として之が主宰と為る。故に陰陽も亦た其の正に帰せざること能はず。是を以て陰陽不正の時有りと雖も、亦た天地の道に非ずと謂ふべからざるなり。明道曰く、善悪皆天理なり。之を悪と謂ふ者も本悪に非ず。但だ或いは過ぎ或いは及ばずして便ち此の如し、と。亦た此の意なり。之を穀肉に譬ふ。食の美なる者なり。而して食の饐餲し、肉の餒敗する者は、是れ穀肉の変じて腐壊するなり。食ふべからず。腐壊して食ふべからずと雖も、之を穀肉に非ずと謂ふは則ち不可なり。然らば則ち小人の凶悪、陰陽の災沴、皆是れ天理の変じて正しからざる者為り。天地の理は、陰陽の主為りと雖も、然れども本是れ無心なり。陰陽を節制して之をして其の宜しきに適はしむること能はず。是を以て独り位育の功を成すこと能はず。必ず聖人の栽成を須つこと有り。聖人は心有りて此の道を維持し、中を民に建つ。中は則ち過不及無きの理なり。故に中なる者は聖人此の道を維持するの心法なり。聖人は天を継ぎて極を立て、天地の道を裁成し、以て天地の化育の及ばざる所を輔相す。
現代語訳
陰陽が狂って常を失うのは、このためです。ですから陰陽がときに狂っても、天地の道の正しく常なるものは変わらずに主宰しています。そのため陰陽もその正しさに戻らずにはいられません。陰陽が正しくない時があっても、天地の道でないとは言えないのです。程明道は「善も悪もみな天理である。悪というものも、もとは悪ではない。ただ過ぎたり及ばなかったりしてそうなるのだ」と言いましたが、これも同じ意味です。穀物や肉にたとえましょう。これらは美味しい食べ物ですが、飯がすえて味が変わり、肉が腐ってしまえば、それは穀物や肉が変質して腐ったのであって、食べられません。腐って食べられなくても、それを穀物や肉ではないと言うことはできません。そうであれば、小人の凶悪も陰陽の災いも、みな天理が変じて正しくなくなったものです。天地の理は陰陽の主ではありますが、もともと心を持ちません。陰陽を調節してほどよくさせることはできません。そのため独りで天地を安定させ万物を育てるはたらきを完成させることはできず、必ず聖人が裁き整えることを必要とします。聖人は心を持ってこの道を保ち、民のために中を立てます。中とは過不足のない理です。ですから中は、聖人がこの道を保つための心の法です。聖人は天を受け継いで人の極みを立て、天地の道を裁き整え、天地の化育の及ばないところを助けるのです。
解説
この章句が説くこと
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