慎思録 / 巻之四
子曰。夷狄之有君。不如諸夏之亡也。凡夷狄之人。不學而不知道。然而秉彜好德之心。自不可泯滅矣。故雖蠻貊之邦。澆漓之時。亦不能無人倫之道。各有君長。而臣屬之。如吾邦。自神武帝馭宇內已降。至今日。帝胄接續。永踐寶祚。後世雖號令不出于朝廷。然世有君臣上下之分。而不相僭亂。其存厚之道。雖萬世可知也。文獻通考載。宋太宗雍熈元年。日本國僧奝然至。上聞其國王一姓傳繼。因謂宰相曰。此島夷耳。乃世祚遐遠。葢古之道也。此亦可以爲夷狄之有君。不如諸夏之亡也。夫本邦之帝胤。萬世傳繼不易。此一事可爲吾邦之一大美事。萬世不易之法。而中華曁諸夷之所以不及也。
新字:子曰。夷狄之有君。不如諸夏之亡也。凡夷狄之人。不学而不知道。然而秉彜好徳之心。自不可泯滅矣。故雖蠻貊之邦。澆漓之時。亦不能無人倫之道。各有君長。而臣属之。如吾邦。自神武帝馭宇内已降。至今日。帝胄接続。永践宝祚。後世雖号令不出于朝廷。然世有君臣上下之分。而不相僭乱。其存厚之道。雖万世可知也。文献通考載。宋太宗雍熈元年。日本国僧奝然至。上聞其国王一姓伝継。因謂宰相曰。此島夷耳。乃世祚遐遠。葢古之道也。此亦可以為夷狄之有君。不如諸夏之亡也。夫本邦之帝胤。万世伝継不易。此一事可為吾邦之一大美事。万世不易之法。而中華曁諸夷之所以不及也。
書き下し
子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざるなり、と。凡そ夷狄の人は、学ばずして道を知らず。然り而して秉彝好徳の心は、自ら泯滅すべからず。故に蛮貊の邦、澆漓の時と雖も、亦た人倫の道無きこと能はず。各君長有りて之に臣属す。吾が邦の如きは、神武帝宇内を馭してより已降、今日に至るまで、帝冑接続し、永く宝祚を践む。後世号令朝廷より出でずと雖も、然れども世々君臣上下の分有りて、相僭乱せず。其の存厚の道、万世と雖も知るべきなり。文献通考に載す、宋の太宗雍熙元年、日本国の僧奝然至る。上其の国王一姓伝継するを聞き、因りて宰相に謂ひて曰く、此れ島夷のみ。乃ち世祚遐遠なり。蓋し古の道なり、と。此れも亦た以て夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざると為すべきなり。夫れ本邦の帝胤、万世伝継して易はらず。此の一事は吾が邦の一大美事、万世不易の法と為すべくして、中華及び諸夷の及ばざる所以なり。
現代語訳
孔子は「夷狄に君主がいるのは、中国に君主がいないのに及ばない」と言いました。およそ夷狄の人は学ばないので道を知りません。しかし常の道を守り徳を好む心は、おのずから消えてなくなるものではありません。ですから辺境の国や、風俗の薄い時代であっても、人の道がないわけにはいかず、それぞれ君長がいてこれに仕えています。わが国のように、神武天皇が天下を治めて以来今日に至るまで、天子の血筋が続き、長く皇位を継いでいます。後世には命令が朝廷から出なくなりましたが、代々君臣上下の分があって、互いに越えたり乱したりしません。その厚さを保つ道は、万世先まで知ることができます。『文献通考』に、宋の太宗の雍熙元年に日本の僧奝然が来たとき、太宗はその国王が一つの姓で継承していると聞いて宰相に「これは島国の夷にすぎないのに、代々の皇位がはるかに続いている。これこそ古の道である」と言ったと載っています。これもまた「夷狄に君主がいるのは、中国に君主がいないのに及ばない」の例とすべきです。わが国の天子の血筋が万世にわたって継承されて変わらないというこの一事は、わが国の一大美事であり、万世不易の法とすべきもので、中国やほかの国々の及ばないところです。
解説
この章句が説くこと
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