言志四録 / 言志録 第二百五条 過不及無き処即ち善
看來宇宙內事。曷嘗有惡。有過不及處。卽是惡。看來宇宙內事。曷甞有善。無過不及處。卽是善。
新字:看来宇宙内事。曷嘗有悪。有過不及処。即是悪。看来宇宙内事。曷甞有善。無過不及処。即是善。
書き下し
看来たれば宇宙内の事、曷ぞ嘗て悪有らん。過不及有る処、即ち是れ悪なり。看来たれば宇宙内の事、曷ぞ嘗て善有らん。過不及無き処、即ち是れ善なり。
現代語訳
よく見てみれば、宇宙の中の事柄に、どうしてもともと悪というものがあろうか。行き過ぎや足りなさのあるところ、それがすなわち悪である。よく見てみれば、宇宙の中の事柄に、どうしてもともと善というものがあろうか。行き過ぎも足りなさもないところ、それがすなわち善である。
解説
善と悪を、それ自体として存在する実体ではなく、程度の問題として捉えた一条です。宇宙の事柄にもともと悪はなく、行き過ぎや不足のあるところが悪であり、同じくもともと善というものがあるのではなく、過不及のないところが善である。これは『中庸』の「中」の考え方、そして程明道の「善悪は皆天理なり、悪と謂ふ者も本悪に非ず、但だ或いは過ぎ或いは及ばざるのみ」を踏まえたものです。勇気も行き過ぎれば無謀となり、慎重さも過ぎれば臆病になります。物事を善悪の二色で裁く前に、それが度を越していないか、足りていないかという目盛りで見ることの有効さを示してくれます。
この章句が説くこと
中庸善悪過不及天理
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段平常倹約を思ふより外に、心は有るまじ。倹約と云ふを、世に誤りて、吝きことゝ思ふは非なり。聖人の約と宣ふは、修りを退け、法に従ふことなり。客の云へる今の親方の行ひは、皆々法に合へり。聖人の行ひに合はゞ、中庸とも云ふべし。然るを汝は、善悪を択ばず、二人の真中を執らんと云ふ。善悪を択ばずして中を執るは、一を挙げて百を廃す、これ時の中を害す。孟子道を賊ふと誹り玉ふ、子莫が中と云ふはこれなり。客のいへる今の親方の行ひを、細かに心を付けて見るべし。一つとして私の勝手づくをなさず、親類より手代までを、親の子を思ふ如くす。聖人、民を子のごとくに思し召す政と、大小の替りはあれども、志しは同じ。それを知らずして、世に異なる人と思へるは、大なる辟ことなり。世の中の有福なる者、我が親類を銘々に引き請けて、世話に思はゞ、飢ゑに及ぶほどの者はあるまじきに、反つて道ある人を誹りあざけるは、哀しきにあらずや。
-
『呻吟語』外篇・人情・死亡の時人を欺き得ず人己の善を說けば則ち喜び、人己の過ちを說けば則ち怒る。自家の善惡は自家真に知る。禍敗の時を待たば人を欺き得ず。人體の實を說けば則ち喜び、人體の虛を說けば則ち怒る。自家の病痛は自家獨り覺ゆ。死亡の時に到らば人を欺き得ず。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
-
『呻吟語』内篇・修身・寧ろ禍あるも惡を為すを肯んぜず善なる者は必ずしも福ならず、惡なる者は必ずしも禍ならず。君子は稔に之を知る。寧ろ禍あるも惡を為すを肯んぜず。忠直なる者は窮し、諛佞なる者は通ず。君子は稔に之を知る。寧ろ窮するも佞を為すを肯んぜず。但だ理に當然有るを知るのみに非ず、亦た其の心に已む容からざる所有るのみ。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
-
『呻吟語』内篇・修身・惡を為すに勉強無く、善を為すに自然無し惡を為すには再び個の勉強底沒く、善を為すには再び個の自然底沒し。學者此の念頭を勘破せば、寧ぞ愧ぢ奮はざらんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る