新論 / 長計
夫 天子祭天神地祇、其敬祭天祖、所以報天尊 祖也、祀地主保食神、鎭國土厚民生也、〈唐虞三代之秩祀典、所重則嘗禘郊社、嘗者嘗新穀、禘者禘其祖之所自出、以其祖配之、郊者祀天、以其祖配之、社者祀后土有功者、又祀田正有功者曰稷、中庸曰、郊社之禮、所以事上帝也、宗廟之禮、所以祀乎其先也、明乎郊社之禮禘嘗之義、治國其如示諸掌乎、論語稱知禘之説者之於天下、如視諸掌、孝經亦以周公郊祀后稷宗祀文王、爲嚴父之至、其意皆相同、則亦可見其所最重在乎此也、而 天朝大嘗之禮、祀乎 天祖、而事天祀先之意並存焉、亦猶郊禘之義也、嘗新穀而薦之、即嘗之義也、故 大神宮之祀是宗廟也、明堂也、郊也、一祀而數義存焉、而祭地主神猶社、保食神猶稷也、大神大倭等即社也、渡會稻荷等即稷也、郊廟社稷天地之祭、其大者如合符節、蓋亦以 神州與漢土風氣相同、而其事暗合者如此也、〉
新字:夫 天子祭天神地祇、其敬祭天祖、所以報天尊 祖也、祀地主保食神、鎮国土厚民生也、〈唐虞三代之秩祀典、所重則嘗禘郊社、嘗者嘗新穀、禘者禘其祖之所自出、以其祖配之、郊者祀天、以其祖配之、社者祀后土有功者、又祀田正有功者曰稷、中庸曰、郊社之礼、所以事上帝也、宗廟之礼、所以祀乎其先也、明乎郊社之礼禘嘗之義、治国其如示諸掌乎、論語称知禘之説者之於天下、如視諸掌、孝経亦以周公郊祀后稷宗祀文王、為厳父之至、其意皆相同、則亦可見其所最重在乎此也、而 天朝大嘗之礼、祀乎 天祖、而事天祀先之意並存焉、亦猶郊禘之義也、嘗新穀而薦之、即嘗之義也、故 大神宮之祀是宗廟也、明堂也、郊也、一祀而数義存焉、而祭地主神猶社、保食神猶稷也、大神大倭等即社也、渡会稲荷等即稷也、郊廟社稷天地之祭、其大者如合符節、蓋亦以 神州与漢土風気相同、而其事暗合者如此也、〉
書き下し
夫れ天子天神地祇を祭り、其の敬して天祖を祭るは、天に報い祖を尊ぶ所以なり。地主・保食の神を祀るは、国土を鎮め民生を厚くするなり。(唐虞三代の祀典を秩するに、重んずる所は則ち嘗禘郊社なり。嘗とは新穀を嘗むるなり。禘とは其の祖の自りて出づる所を禘し、其の祖を以て之に配するなり。郊とは天を祀り、其の祖を以て之に配するなり。社とは后土の功有る者を祀り、又田正の功有る者を祀るを稷と曰ふ。中庸に曰く、郊社の礼は、上帝に事ふる所以なり。宗廟の礼は、其の先を祀る所以なり。郊社の礼、禘嘗の義に明らかなれば、国を治むること其れ諸を掌に示すが如きかと。論語に禘の説を知る者の天下に於けるは、諸を掌に視るが如しと称し、孝経も亦周公の后稷を郊祀し文王を宗祀するを以て、厳父の至りと為す。其の意皆相同じければ、則ち亦其の最も重んずる所此に在るを見るべきなり。而して天朝大嘗の礼は、天祖を祀りて、天に事へ先を祀るの意並び存す、亦猶ほ郊禘の義のごときなり。新穀を嘗めて之を薦むるは、即ち嘗の義なり。故に大神宮の祀は是れ宗廟なり、明堂なり、郊なり、一祀にして数義存す。而して地主神を祭るは猶ほ社のごとく、保食神は猶ほ稷のごときなり。大神・大倭等は即ち社なり、渡会・稲荷等は即ち稷なり。郊廟社稷天地の祭、其の大なる者符節を合するが如し。蓋し亦神州と漢土と風気相同じきを以て、其の事暗合する者此くの如きなり。)
現代語訳
そもそも天子は天の神・地の神を祭り、なかでも敬って天祖(天照大神)を祭るのは、天に報い祖先を尊ぶためである。地主神・保食神(穀物の神)を祀るのは、国土を鎮め民の暮らしを豊かにするためである。(堯・舜と夏・殷・周三代の祭祀の典礼を順序立てると、重んじたのは嘗・禘・郊・社である。嘗とは新穀を味わって供える祭りである。禘とはその祖先の出てきた源を祭り、その祖先を合わせ祀るものである。郊とは天を祀り、その祖先を合わせ祀るものである。社とは土地の神で功績ある者を祀るもので、また田を治めた功績ある者を祀るのを稷という。『中庸』に「郊社の礼は上帝に仕えるためのもの、宗廟の礼はその祖先を祀るためのものである。郊社の礼と禘嘗の意義に明らかであれば、国を治めることは掌の上のものを示すように容易であろう」とある。『論語』も禘の意味を知る者が天下を治めるのは掌の上を見るようだと述べ、『孝経』も周公が后稷を郊で祀り文王を宗廟で祀ったことを、父を尊ぶことの極みとする。その意味はみな同じであるから、最も重んじたところがここにあることがわかる。そしてわが天朝の大嘗の礼は天祖を祀り、天に仕えることと祖先を祀ることの意味が並んで存在し、ちょうど郊・禘の意義のようである。新穀を味わって供えるのは、すなわち嘗の意義である。だから大神宮(伊勢神宮)の祭祀は宗廟であり、明堂であり、郊であって、一つの祭祀にいくつもの意義がある。また地主神を祭るのは社のようで、保食神は稷のようである。大神・大倭などの神社は社に当たり、度会・稲荷などは稷に当たる。郊・廟・社・稷という天地の祭りは、その大きなところが割符を合わせたように一致している。思うに、神州と中国とは風土と気風が似ているので、その事柄がこのように暗に一致するのであろう。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三闕里誌に載す。朱子語録に曰く、宣聖は本当に像を設くべからず。春秋の祭の時、只木主を設けて祭りて可なり、と。丘瓊山曰く、塑像の設は、中国に之無し。仏教の中国に入りしより、始めて有るなり。三代以前神を祀るに、皆主を以てし、所謂像設無きなり。彼の異教之を用ふるは、怪しむに足る無き者なり。知らず吾が聖人を祀る者は、何れの時にして始めて像を為すかを、と云ふ。李元瓘の顔子立ちて侍すと言ふを観れば、則ち像は唐の前に在りて已に有るなり。嗚呼、姚燧言へる有り、北史に敢て泥人銅人を造る者有らば、門誅す、と。則ち泥人は固より中土の主を為りて以て聖人を祀るの法に非ざるなり。後世其の非を覚る莫く、亦其の道に化して之を為す。甚だ神にして之を明らかにし、声無く臭無きの道に非ざるなり。
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『春秋左氏伝』僖公三十一年 甯武子、相の祀りを拒む三十一年春、濟西の田を取る、曹の地を分かつなり。臧文仲をして往かしむ。重館に宿る。重館の人告げて曰く、「晉新たに諸侯を得たり。必ず其の共(うやうや)しきに親しまん。速やかに行かずんば、將に及ぶ無からんとす」と。之に從ふ。曹の地を分かつこと洮より以南、東のかた濟に傅(つ)く、盡く曹の地なり。襄仲晉に如く、曹の田を拜するなり。夏、四月、四たび郊を卜して從はず。乃ち牲を免(ゆる)す、禮に非ざるなり。猶ほ三望す、亦た禮に非ざるなり。禮には常祀を卜せず、而して其の牲と日とを卜す。牛日を卜するを牲と曰ふ。牲成りて郊を卜す。上怠慢なり。望は、郊の細なり。郊せずんば、亦た望無くして可なり。秋、晉清原に蒐(かり)し、五軍を作りて以って狄を禦ぐ。趙衰卿と為る。冬、狄衛を圍む。衛帝丘に遷る。卜して曰く三百年と。衛の成公康叔の曰ふを夢む、「相予が享を奪ふ」と。公相を祀ることを命ず。甯武子可かずとして曰く、「鬼神は其の族類に非ざれば、其の祀を歆(う)けず。杞・鄫は何事ぞ。相の享けざること、此に於いて久し。衛の罪に非ざるなり。以って成王・周公の命祀を間す可からず。請ふ祀命を改めんことを」と。鄭の洩駕公子瑕を惡む。鄭伯も亦た之を惡む。故に公子瑕出でて楚に奔る。
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史記 封禅書後五世、帝武乙、神を慢りて震死す。後三世、帝紂淫乱にして、武王之を伐つ。此に由りて之を観れば、始めは未だ嘗て粛祗せずんばあらず、後稍く怠慢なり。周官に曰く、冬日至に、天を南郊に祀り、長日の至るを迎ふ。夏日至に、地祇を祭る。皆楽舞を用ひて、神乃ち得て礼す可きなり。天子は天下の名山大川を祭り、五岳は三公に視へ、四瀆は諸侯に視ふ。諸侯は其の疆内の名山大川を祭る。四瀆とは、江・河・淮・済なり。天子には明堂・辟雍と曰ひ、諸侯には泮宮と曰ふ。周公既に成王に相として、后稷を郊祀して以て天に配し、文王を明堂に宗祀して以て上帝に配す。禹の興りしより社祀を修め、后稷は稼穡す、故に稷祠有り、郊社の従りて来る所は尚し。周の殷に克ちし後十四世より、世益々衰へ、礼楽廃れ、諸侯恣に行ひ、而して幽王、犬戎の敗る所と為り、周、東して雒邑に徙る。秦の襄公、戎を攻めて周を救ひ、始めて列して諸侯と為る。秦の襄公既に侯となり、西垂に居り、自ら以為へらく少皞の神を主ると、西畤を作り、白帝を祠る。其の牲は騮駒・黄牛・羝羊各一を用ふと云ふ。其の後十六年、秦の文公、東して汧・渭の間に猟し、之に居らんことを卜して吉なり。文公、黄蛇の天より下りて地に属し、其の口の鄜衍に止まるを夢む。文公、史敦に問ふ。敦曰く、「此れ上帝の徴なり、君其れ之を祠れ」と。是に於て鄜畤を作り、三牲を用ひて白帝を郊祭す。未だ鄜畤を作らざるよりして、雍の旁に故より呉陽の武畤有り、雍の東に好畤有り、皆廃れて祠無し。或ひと曰く、「古より雍州は積みて高く、神明の隩なるを以て、故に畤を立てて上帝を郊し、諸神の祠皆聚まると云ふ。蓋し黄帝の時嘗て事を用ひ、晩周と雖も亦郊す」と。其の語は経に見えず、縉紳の者は道はず。鄜畤を作りて後九年、文公、石の若きものを獲て、陳倉の北阪の城に之を祠る。
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尚書・說命中惟れ厥の居る攸にして、政事惟れ醇なり。祭祀に黷(けが)るる、時れ欽まずと謂ふ。礼煩はしければ則ち乱れ、神に事ふること則ち難し。」王曰く、「旨(うま)いかな。説乃の言惟れ服せん。乃言に良からずんば、予行ひに聞く罔からん。」説拝して稽首して曰く、
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『慎思録』巻之四始祖の祭は、伊川之を行ふ。朱子曰く、古に此れ無し。伊川義を以て起こす。某当初は也た祭る。後来僭に似たるを覚え、今敢へて祭らず、と。篤信窃かに謂ふ、始祖の祭は、朱子既に之を家礼及び小学に載す。家礼の如きは、朱子四十歳の輯むる所なり。其の間固より晩年の論と合はざる者有り。小学書の如きは、五十八歳の輯むる所なり。拠と為すべきに似たり。然れども当初は也た祭る、後来敢へて祭らずと曰へば、則ち此を以て定説と為すに似たり。丘瓊山曰く、小学に此の条を刪らざるは、必ず其の説有らん、と。是を以て疑はしきを闕きて敢へて決せざるなり。
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言志四録・言志録 第七十三条 方相氏の儺の深意古者、方相氏の儺を為すや、熊皮を蒙り、黄金の四目、玄衣朱裳、戈を執り盾を揚げ、百隷を帥ゐて之を駆る。郷人群然として出でて観る。蓋し礼を制する者、深意有り。伏陰愆陽、結びて疫気と為る。之を駆除せんと欲せば、人の純陽の気に資るに若くは莫きなり。方相気を作して率先し、百隷之に従ひ、状は怪物の若く然り。闔郷の老少、雑遝して聚まり観、且つ駭き且つ笑ふ。是に於て、陽気四発し、疫気自ら能く消散す。乃ち闔郷の人心に至るまで、亦因りて以て懽然として和暢し、復た邪慝の内に伏鬱すること無し。蓋し其の戯に近き処、是れ其の妙用の在る所か。
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