慎思録 / 巻之四
道本在近。所及者遠。道本在淺。所極者深。道本在卑。所積者高。孟子曰。道在邇。而求諸遠。事在易。而求諸難。人人親其親。長其長。而天下平。葢道之所在。乃親其親。長其長。是孝弟而已。此日用常行之事。可謂至淺近且卑也。故雖愚夫愚婦。易知易行。苟舍孝弟。而求道於高遠。是求道於所無也。猶緣木而求魚也。孝弟之道積于身而不可及。謂之高。孝弟之理通于神明。不可窺測。謂之深。孝弟之理達于天下。謂之遠。此君子之道。所以高深且遠也。故曰。夫婦之愚。可以與知焉。及其至也。雖聖人。亦有所不知焉。夫婦之不肖。可以能行焉。及其至也。雖聖人。亦有所不能焉。異學之說。捨孝弟而不務。獨於孝弟倫常之外。欲求其高深者。不知孝弟倫常之外無高深者。苟於此外求高深者。譬如繫風捕影。此捨實有而取空無也。
新字:道本在近。所及者遠。道本在浅。所極者深。道本在卑。所積者高。孟子曰。道在邇。而求諸遠。事在易。而求諸難。人人親其親。長其長。而天下平。葢道之所在。乃親其親。長其長。是孝弟而已。此日用常行之事。可謂至浅近且卑也。故雖愚夫愚婦。易知易行。苟舎孝弟。而求道於高遠。是求道於所無也。猶縁木而求魚也。孝弟之道積于身而不可及。謂之高。孝弟之理通于神明。不可窺測。謂之深。孝弟之理達于天下。謂之遠。此君子之道。所以高深且遠也。故曰。夫婦之愚。可以与知焉。及其至也。雖聖人。亦有所不知焉。夫婦之不肖。可以能行焉。及其至也。雖聖人。亦有所不能焉。異学之説。捨孝弟而不務。独於孝弟倫常之外。欲求其高深者。不知孝弟倫常之外無高深者。苟於此外求高深者。譬如繋風捕影。此捨実有而取空無也。
書き下し
道は本近きに在りて、及ぶ所の者は遠し。道は本浅きに在りて、極むる所の者は深し。道は本卑きに在りて、積む所の者は高し。孟子曰く、道は邇きに在りて之を遠きに求め、事は易きに在りて之を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、天下平らかなり、と。蓋し道の在る所は、乃ち其の親を親とし、其の長を長とす。是れ孝弟のみ。此れ日用常行の事にして、至つて浅近にして且つ卑しと謂ふべし。故に愚夫愚婦と雖も、知り易く行ひ易し。苟も孝弟を舎てて道を高遠に求むるは、是れ道を無き所に求むるなり。猶ほ木に縁りて魚を求むるがごとし。孝弟の道は身に積みて及ぶべからず、之を高しと謂ふ。孝弟の理は神明に通じて窺ひ測るべからず、之を深しと謂ふ。孝弟の理は天下に達す、之を遠しと謂ふ。此れ君子の道の、高深にして且つ遠き所以なり。故に曰く、夫婦の愚も以て与り知るべし。其の至りに及びては、聖人と雖も亦た知らざる所有り。夫婦の不肖も以て能く行ふべし。其の至りに及びては、聖人と雖も亦た能はざる所有り、と。異学の説は、孝弟を捨てて務めず、独り孝弟倫常の外に於て其の高深なる者を求めんと欲す。孝弟倫常の外に高深なる者無きことを知らず。苟も此の外に於て高深なる者を求むるは、譬へば風を繋ぎ影を捕ふるが如し。此れ実有を捨てて空無を取るなり。
現代語訳
道はもともと近いところにあって、その及ぶところは遠いのです。道はもともと浅いところにあって、その極めるところは深いのです。道はもともと低いところにあって、積み上げるところは高いのです。孟子は「道は近くにあるのに遠くに求め、事は易しいところにあるのに難しいところに求める。人々がそれぞれ自分の親を親しみ、目上を敬えば、天下は平和になる」と言いました。道のあるところは、自分の親を親しみ、目上を敬うこと、つまり孝と弟だけです。これは日々の当たり前の行いで、この上なく浅く近く、しかも低いと言うべきものです。ですから愚かな男女でも知りやすく行いやすいのです。もし孝弟を捨てて道を高く遠いところに求めるなら、それは道をないところに求めることで、木に登って魚を求めるようなものです。孝弟の道を身に積み上げていくと、とても及びがたくなります。これを高いと言います。孝弟の理は神明に通じて、うかがい測ることができません。これを深いと言います。孝弟の理は天下に行き渡ります。これを遠いと言います。これが君子の道が高く深く遠いわけです。だから『中庸』に「愚かな夫婦でもあずかり知ることができる。その極みに至っては、聖人でも知らないところがある。不肖の夫婦でも行うことができる。その極みに至っては、聖人でもできないところがある」とあるのです。異学の説は、孝弟を捨てて務めず、孝弟や人倫の外に高く深いものを求めようとします。孝弟や人倫の外に高く深いものなどないことを知らないのです。もしその外に高く深いものを求めるなら、風をつなぎ影を捕らえるようなもので、実際にあるものを捨てて空しいものを取ることです。
解説
この章句が説くこと
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