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弁名 / 道

曰達道者。謂先王之道。通貴賤智愚賢不肖。可皆由者也。它如天子之道。諸侯之道。皆非人人得行者。如君子之道。亦非民之所得行者。則與此殊矣。鄭玄以爲百王通行之道。後儒又因之而以五者槩聖人之道。誤矣。如達孝。亦謂武王周公能推其孝達諸天下。使天下之人伸其孝心。故上文有父爲士。子爲大夫。葬以士祭以大夫。達字之義。可以見已。後儒不知之。亦以天下皆稱其孝解之。嗚呼天下皆稱其孝。何必武王周公已哉。

新字:曰達道者。謂先王之道。通貴賤智愚賢不肖。可皆由者也。它如天子之道。諸侯之道。皆非人人得行者。如君子之道。亦非民之所得行者。則与此殊矣。鄭玄以為百王通行之道。後儒又因之而以五者槩聖人之道。誤矣。如達孝。亦謂武王周公能推其孝達諸天下。使天下之人伸其孝心。故上文有父為士。子為大夫。葬以士祭以大夫。達字之義。可以見已。後儒不知之。亦以天下皆称其孝解之。嗚呼天下皆称其孝。何必武王周公已哉。

書き下し

達道と曰ふ者は、先王の道、貴賤智愚賢不肖に通じて、皆由るべき者を謂ふなり。它の天子の道・諸侯の道の如きは、皆人人の行ふを得る者に非ず。君子の道の如きも、亦た民の行ふを得る所の者に非ず。則ち此と殊なり。鄭玄以て百王通行の道と為し、後儒又た之に因りて五者を以て聖人の道を概す。誤れり。達孝の如きも、亦た武王・周公能く其の孝を推して諸を天下に達し、天下の人をして其の孝心を伸べしむるを謂ふなり。故に上文に、父は士為り、子は大夫為れば、葬るに士を以てし祭るに大夫を以てす、有り。達の字の義、以て見るべきのみ。後儒之を知らず、亦た天下皆其の孝を称するを以て之を解す。嗚呼天下皆其の孝を称す、何ぞ必ずしも武王・周公のみならんや。

現代語訳

「達道」とは、先王の道のうち、身分の高低、知恵のあるなし、賢愚を問わず、誰もが拠ることのできるものを言う。そのほかの天子の道・諸侯の道などは、誰もが行えるものではない。君子の道も、民が行えるものではない。だからこれとは違う。鄭玄はこれを「歴代の王に通じて行われる道」とし、後の儒者はそれに従って(君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の)五つで聖人の道を総括したが、誤りである。「達孝」というのも、武王・周公がその孝を推し広めて天下に行き渡らせ、天下の人々にそれぞれの孝心を伸ばさせたことを言う。だから『中庸』の上の文に「父が士で子が大夫なら、葬儀は士の礼で、祭りは大夫の礼で行う」とあるのだ。「達」の字の意味はここから見て取れる。後の儒者はこれを知らず、「天下がみなその孝をたたえた」と解釈した。ああ、天下がみなその孝をたたえるというだけなら、どうして武王・周公に限ることがあろうか。

解説

『中庸』の「達道」「達孝」の「達」を、徂徠は「誰にでも行き渡る」意味に読む。達道は、天子の道や君子の道のような身分に応じた道と違い、貴賤賢愚を問わず誰もが歩める部分である。達孝も、武王・周公が自分の孝を誇ったのではなく、天下の人々が身分に応じて孝を尽くせる礼を整えたことだという。指導者の徳は自分が称賛されることではなく、他の人が行えるようにすることにある。上司の仕事も、自分が模範となるだけでなく、部下の誰もがそれを実行できる仕組みを整えることなのである。

この章句が説くこと

達道孝中庸先王道仕組み

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