慎思録 / 巻之四
如堯舜。說一中字而足。至孔子說仁說義。至孟子說仁義禮智。說浩然之氣。說性善。皆前聖所未發。堯舜唯說中。至孔子說中庸。子思始說中和。此時變世態人心之所令然。不得巳之故也。程朱恐後人之認氣爲理。將理低看了。與陰陽渾雜。故分開而說耳。葢理是天地之道。萬物之本根。陰陽之主宰。其至貴至粹。非陰陽之可比。故分析說。令知與氣爲別物。苟渾說。則恐後人習而不察。其理湮晦不分明。故分開而說。亦自然之勢。不得已之意。爲後學立敎之道。隨時爲宜。固當如此。是亦先賢之微意也。後人非敢所可議。如朱門末學之徒。愈分析則愈紛雜。惟取夫子明道之渾融而說者。與伊川朱子之分析而說者。各極其意趣。以其異同。而離合看。則渾說分說。各有微意。如此。則恐有益于講學。學者幸不可執一而論。
新字:如堯舜。説一中字而足。至孔子説仁説義。至孟子説仁義礼智。説浩然之気。説性善。皆前聖所未発。堯舜唯説中。至孔子説中庸。子思始説中和。此時変世態人心之所令然。不得巳之故也。程朱恐後人之認気為理。将理低看了。与陰陽渾雑。故分開而説耳。葢理是天地之道。万物之本根。陰陽之主宰。其至貴至粋。非陰陽之可比。故分析説。令知与気為別物。苟渾説。則恐後人習而不察。其理湮晦不分明。故分開而説。亦自然之勢。不得已之意。為後学立教之道。随時為宜。固当如此。是亦先賢之微意也。後人非敢所可議。如朱門末学之徒。愈分析則愈紛雑。惟取夫子明道之渾融而説者。与伊川朱子之分析而説者。各極其意趣。以其異同。而離合看。則渾説分説。各有微意。如此。則恐有益于講学。学者幸不可執一而論。
書き下し
堯舜の如きは、一の中の字を説きて足る。孔子に至りて仁を説き義を説く。孟子に至りて仁義礼智を説き、浩然の気を説き、性善を説く。皆前聖の未だ発せざる所なり。堯舜は唯だ中を説く。孔子に至りて中庸を説き、子思始めて中和を説く。此れ時変世態人心の然らしむる所にして、已むを得ざるの故なり。程朱は後人の気を認めて理と為し、理を将て低く看了りて、陰陽と渾雑せんことを恐る。故に分開して説くのみ。蓋し理は是れ天地の道、万物の本根、陰陽の主宰なり。其の至貴至粋は、陰陽の比すべきに非ず。故に分析して説き、気と別物為ることを知らしむ。苟も渾説せば、則ち恐らくは後人習ひて察せず、其の理湮晦して分明ならざらん。故に分開して説くも、亦た自然の勢ひ、已むを得ざるの意なり。後学の為に教へを立つるの道は、時に随ひて宜しきを為す。固より当に此の如くなるべし。是れも亦た先賢の微意なり。後人の敢へて議すべき所に非ず。朱門末学の徒の如きは、愈分析すれば則ち愈紛雑す。惟だ夫子明道の渾融して説く者と、伊川朱子の分析して説く者とを取り、各其の意趣を極め、其の異同を以て離合して看れば、則ち渾説分説、各微意有り。此の如くならば、則ち恐らくは講学に益有らん。学者幸はくは一を執りて論ずべからず。
現代語訳
堯や舜は「中」の一字を説くだけで足りました。孔子になって仁を説き義を説き、孟子になって仁義礼智を説き、浩然の気を説き、性善を説きました。どれも前の聖人がまだ言わなかったことです。堯舜はただ中を説き、孔子になって中庸を説き、子思が初めて中和を説きました。これは時代の変化と世の有様と人の心がそうさせたもので、やむを得ないことです。程子や朱子は、後の人が気を理と思い込み、理を低く見て陰陽と混同することを恐れました。だから分けて説いたのです。理は天地の道であり、万物の根本であり、陰陽の主宰です。その尊さ純粋さは陰陽と比べものになりません。だから分けて説き、気とは別物であることを知らせたのです。もし一つにまとめて説けば、後の人は慣れてしまって深く考えず、理がうずもれてはっきりしなくなることを恐れたのでしょう。ですから分けて説いたのも、自然の成り行きであり、やむを得ないことだったのです。後の学ぶ者のために教えを立てる方法は、時に応じてふさわしくするもので、もとよりそうあるべきです。これも先賢の深い心遣いであり、後の人があれこれ論じてよいものではありません。朱子の門下の末流の者たちは、分析すればするほど話がこじれていきました。ただ孔子と明道の溶け合わせた説き方と、伊川と朱子の分けた説き方とを両方取り、それぞれの意味するところを突き詰め、違いと同じところを見比べれば、まとめる説にも分ける説にもそれぞれ深い意味があることがわかります。そうすれば学問を講じるうえで益があるでしょう。学ぶ者はどうか一方だけに固執して論じないでください。
解説
この章句が説くこと
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