甲陽軍鑑 / 起巻
但なに本にても、一冊おほうして、二册三册よみて其理に能々徵し給はゞ、必おほくは、學問無用になさるべし、殊に詩聯句などまて、あそばし候は、猶もつてひが事也、但又國を半國共持給ふ、大將は學問きはめ、聯句なともし給へ、文武二道と申て、現世未來まで人のほめ物になり給ふ也、
新字:但なに本にても、一冊おほうして、二册三册よみて其理に能々徴し給はゞ、必おほくは、学問無用になさるべし、殊に詩聯句などまて、あそばし候は、猶もつてひが事也、但又国を半国共持給ふ、大将は学問きはめ、聯句なともし給へ、文武二道と申て、現世未来まで人のほめ物になり給ふ也、
書き下し
但なに本にても、一冊おほうして、二册三册よみて其理に能々徴し給はゞ、必おほくは、学問無用になさるべし、殊に詩聯句などまて、あそばし候は、猶もつてひが事也、但又国を半国共持給ふ、大将は学問きはめ、聯句なともし給へ、文武二道と申て、現世未来まで人のほめ物になり給ふ也、
現代語訳
ただしどの本であっても、一冊を多くして二、三冊読み、その理をよくよく確かめられたなら、必ずおおかたは学問を無用になさるべきである。ことに詩や聯句などまでなさるのは、なおもって僻事である。ただし国を半国とも持たれる大将は学問を極め、聯句なども作られよ。文武二道と申して、現世未来まで人の褒め物になられるのである。
解説
冊数を増やすなという指示が具体的で、二、三冊を理まで確かめれば足りるとされる。ただし国を半国持つ大将は別で、そこでは文武二道が誉れになる。同じ学問が、立場によって必要にも無用にもなるという使い分けである。同じ学問が、立場によって必要にも無用にもなるという使い分けである。何を読むかより、その人の役に要るかどうかで決めている。

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学問冊数理文武立場詩
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