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慎思録 / 巻之四

道與理一也。雖天人之道非有二。然以其流行。謂之道者。天之道也。以其率性謂之道者。人之道也。以其條貫謂之理者。通天人而言。如易謂窮理。孟子謂理義。禮記謂天理。是也。以其與氣相對。而無形象者。故宋儒專說理字。與氣對了。近世異學之輩出。以謂只可謂之道。不可謂之理。此亦固陋之甚。不通時變者也。豈知古來聖賢之說。順時異宜哉。如堯舜之盛世。未有幾許議論。唯言一中字而足矣。至後世歷時愈久。而議論愈詳。到宋儒專說理字。亦何害之有。

新字:道与理一也。雖天人之道非有二。然以其流行。謂之道者。天之道也。以其率性謂之道者。人之道也。以其条貫謂之理者。通天人而言。如易謂窮理。孟子謂理義。礼記謂天理。是也。以其与気相対。而無形象者。故宋儒専説理字。与気対了。近世異学之輩出。以謂只可謂之道。不可謂之理。此亦固陋之甚。不通時変者也。豈知古来聖賢之説。順時異宜哉。如堯舜之盛世。未有幾許議論。唯言一中字而足矣。至後世歴時愈久。而議論愈詳。到宋儒専説理字。亦何害之有。

書き下し

道と理とは一なり。天人の道、二有るに非ずと雖も、然れども其の流行を以て之を道と謂ふ者は、天の道なり。其の性に率ふを以て之を道と謂ふ者は、人の道なり。其の条貫を以て之を理と謂ふ者は、天人に通じて言ふ。易に窮理と謂ひ、孟子に理義と謂ひ、礼記に天理と謂ふが如き、是れなり。其の気と相対して形象無き者を以て、故に宋儒専ら理の字を説きて、気と対了す。近世異学の輩出でて、以謂へらく、只だ之を道と謂ふべし、之を理と謂ふべからず、と。此れ亦た固陋の甚だしき、時変に通ぜざる者なり。豈に古来聖賢の説、時に順ひて宜しきを異にすることを知らんや。堯舜の盛世の如きは、未だ幾許の議論有らず。唯だ一の中の字を言ひて足る。後世に至りて時を歴ること愈久しくして、議論愈詳らかなり。宋儒に到りて専ら理の字を説くも、亦た何の害か之有らん。

現代語訳

道と理は一つです。天の道と人の道は二つあるわけではありませんが、流れ行くという点から道と呼ぶのは天の道です。性に従うという点から道と呼ぶのは人の道です。筋道という点から理と呼ぶのは、天と人に通じて言うものです。『易』に「窮理」と言い、『孟子』に「理義」と言い、『礼記』に「天理」と言うのがそれです。気と対比され、形のないものであるから、宋の儒者はもっぱら理の字を説いて気と対にしたのです。近ごろ異学の者が出てきて、「道とだけ言うべきで、理と言うべきではない」と言っています。これもひどく頑なで、時の移り変わりに通じない者です。昔からの聖賢の説が、時に従ってふさわしさを変えてきたことをどうして知らないのでしょうか。堯舜の盛んな時代には議論はさほどなく、ただ「中」の一字を言えば足りました。後世になって時代が長く経つほど議論は詳しくなりました。宋の儒者になって、もっぱら理の字を説いたとしても、何の害があるでしょうか。

解説

「道」と「理」の関係を整理した条です。天の流行としての道、性に従う人の道、そして天人に通じる筋道としての理と、言葉の使い分けを明確にし、『易』説卦伝の「窮理」、『孟子』告子上の「理義」、『礼記』楽記の「天理」を典拠に挙げます。「理と言うべきでない」とする近世の異学は、伊藤仁斎の古義学を念頭に置いたものと考えられます。言葉は時代に応じて精密になるものだという益軒の主張は、新しい用語や概念を頭ごなしに退けない柔軟さの大切さを示しています。

この章句が説くこと

窮理天理異学

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