都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
爭デ文字ニテ盡スベキヤ、元來天地ノ體ハ、文字ヲ離レテ死活無キユヘニ、古今變ラズ、命ハ用ナルユヘニ、動テ變ルナリ、理ハ體ナルユヘニ、動カズシテ常ナリ、其變ザル物ヲ、理ト名ヅケタルト知ルベシ、文字ハ事ヲ天下ニ通ス器ノ如シ、理ハ其主ナリ、子曰謹權量ト、稱錘ヤ斗斛モ、天下ノ通用ヲ以テ寶トス、學問ノ道モ亦如是、理ヲキハメ、天道聖人ノ心、通用スルヲ以テ寶トス、聖人窮理盡性以至於命玉フニ依テ、古今ニ通用シテ寶トナル、此理ヲ知ルヲ、學問ノ本ト決定スベシ、理、明ナレバ、萬事、時ノ宜キニ合ベシ、
新字:争デ文字ニテ尽スベキヤ、元来天地ノ体ハ、文字ヲ離レテ死活無キユヘニ、古今変ラズ、命ハ用ナルユヘニ、動テ変ルナリ、理ハ体ナルユヘニ、動カズシテ常ナリ、其変ザル物ヲ、理ト名ヅケタルト知ルベシ、文字ハ事ヲ天下ニ通ス器ノ如シ、理ハ其主ナリ、子曰謹権量ト、称錘ヤ斗斛モ、天下ノ通用ヲ以テ宝トス、学問ノ道モ亦如是、理ヲキハメ、天道聖人ノ心、通用スルヲ以テ宝トス、聖人窮理尽性以至於命玉フニ依テ、古今ニ通用シテ宝トナル、此理ヲ知ルヲ、学問ノ本ト決定スベシ、理、明ナレバ、万事、時ノ宜キニ合ベシ、
書き下し
争で文字にて尽くすべきや。元来天地の体は、文字を離れて死活無きゆゑに、古今変らず。命は用なるゆゑに、動きて変るなり。理は体なるゆゑに、動かずして常なり。其の変らざる物を、理と名づけたると知るべし。文字は事を天下に通す器の如し。理は其の主なり。子曰く、権量を謹むと。称錘や斗斛も、天下の通用を以て宝とす。学問の道も亦かくのごとし。理をきはめ、天道聖人の心、通用するを以て宝とす。聖人理を窮め性を尽くして以て命に至りたまふに依りて、古今に通用して宝となる。此の理を知るを、学問の本と決定すべし。理、明らかなれば、万事、時の宜しきに合ふべし。
現代語訳
「どうして文字で言い尽くせましょう。もともと天地の本体は、文字を離れてみれば死ぬも生きるもないので、昔も今も変わりません。命は働きなので、動いて変わります。理は本体なので、動かず一定です。その変わらないものを理と名づけたのだと知ってください。文字は物事を天下に通用させる道具のようなもので、理がその主人です。孔子は『はかりと升を正しくせよ』と言いました。はかりも升も、天下で通用するからこそ宝なのです。学問の道も同じで、理をきわめ、天道と聖人の心が通用することを宝とします。聖人は理をきわめ性を尽くして命に至ったので、古今を通じて通用し宝となりました。この理を知ることを、学問の根本と決めるべきです。理が明らかであれば、あらゆることが時にかなった宜しさに合うでしょう。」
解説

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関連する章句
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『弁名』道其の解に曰く、「道は当に行ふべきの理なり」と。是の言や以て道を賛すれば則ち猶ほ之れ可なり。然れども亦た僅かに以て人に道を行ふを勧むるに足るの言のみ。道に由れば則ち坦然たり、道に由らざれば則ち蓁棘を冒し険巇を踏む。蓋し焉に由らんか。是れ何ぞ以て道を尽くすに足らんや。若し当に行ふべきの理を其の臆に取りて、是れ聖人の道なりと謂はば、則ち妄の甚だしき者なり。果たして其の言の是ならば、孔子奚ぞ学ばん。彼の其の聖人の智を以てすれば、何の知らざる所かあらん。亦た思はざるの甚だしきなり。
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『慎思録』巻之四堯舜の如きは、一の中の字を説きて足る。孔子に至りて仁を説き義を説く。孟子に至りて仁義礼智を説き、浩然の気を説き、性善を説く。皆前聖の未だ発せざる所なり。堯舜は唯だ中を説く。孔子に至りて中庸を説き、子思始めて中和を説く。此れ時変世態人心の然らしむる所にして、已むを得ざるの故なり。程朱は後人の気を認めて理と為し、理を将て低く看了りて、陰陽と渾雑せんことを恐る。故に分開して説くのみ。蓋し理は是れ天地の道、万物の本根、陰陽の主宰なり。其の至貴至粋は、陰陽の比すべきに非ず。故に分析して説き、気と別物為ることを知らしむ。苟も渾説せば、則ち恐らくは後人習ひて察せず、其の理湮晦して分明ならざらん。故に分開して説くも、亦た自然の勢ひ、已むを得ざるの意なり。後学の為に教へを立つるの道は、時に随ひて宜しきを為す。固より当に此の如くなるべし。是れも亦た先賢の微意なり。後人の敢へて議すべき所に非ず。朱門末学の徒の如きは、愈分析すれば則ち愈紛雑す。惟だ夫子明道の渾融して説く者と、伊川朱子の分析して説く者とを取り、各其の意趣を極め、其の異同を以て離合して看れば、則ち渾説分説、各微意有り。此の如くならば、則ち恐らくは講学に益有らん。学者幸はくは一を執りて論ずべからず。
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『甲陽軍鑑』起巻但なに本にても、一冊おほうして、二册三册よみて其理に能々徴し給はゞ、必おほくは、学問無用になさるべし、殊に詩聯句などまて、あそばし候は、猶もつてひが事也、但又国を半国共持給ふ、大将は学問きはめ、聯句なともし給へ、文武二道と申て、現世未来まで人のほめ物になり給ふ也、
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『慎思録』巻之六人の異学に迷ふ者多きは、何ぞや。曰く、只是れ理を燭すこと明らかならざるに因る。明らかならざる者は、学の粗にして精しからざるに因るのみ。之を学びて知を致さば、則ち之に迷ふことを得ず。且つ偏性有るの人は、一たび聞見する所に迷へば、則ち僻を成して、終身悟らず。惜しいかな。
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『弁名』理氣人欲故に不学の人と雖も、苟も能く思へば、則ち非理の事を為さず。夫の非礼の礼、非義の義の若きは、則ち君子に非ずんば之を弁ずる能はざる者なり。学ばざるが故なり。世の宋儒為る者、猶ほ且つ以て然りと為さず、必ず将に曰はんとす、「礼義は誠に聖人の立つる所なり。然れども苟も聖人の礼義を立つる所以の理を知らずして、徒らに其の所謂礼義なる者を守らば、則ち非礼の礼、非義の義の由りて生ずる所なり」と。是れ宋儒の務めて理を究むるの意しか云ふ。殊に知らず、是れ其の聖人に勝ちて之に上らんと欲する者、亦た自ら揣らざるの甚だしき者なるを。何ぞや。是れ聖人の教に循はずして、先づ聖人の心を獲んと欲する者なり。天下豈に之れ有らんや。
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『学則』答屈景山書宋儒の伝注は、唯理を其の心に求めて以て之を言ふ。夫れ理なる者は定準無き者なり。聖人の心は得て測るべからず。唯聖のみ聖を識る。宋儒の為す所、豈に倨らざらんや。不佞は則ち敢へてせず。夫れ道は則ち高し美し。譾劣の資は企て及ぶべからず。故に卑卑焉として諸を事と辞とに求む。其の心に謂へらく、儒者の業は、唯古の聖人の書を守りて以て後世に詔ぐ、其れ斯れ可なりと。後賢の説は高妙なりと雖も、其の事辞に於いて合はざる有り。何を以て其の聖人の心と道とに於いて必ず合ふを知らんや。君子は其の知らざる所に於いて、蓋し闕如たり。且つ聖人の教へは天下に被る。天下の人、愚と不肖と亦た夥しいかな。故に卑卑焉たる者も、何ぞ必ずしも聖人の指に盭らんや。是れ不佞の心なり。