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弁名 / 道

其解曰。道者當行之理。是言也以贊道則猶之可矣。然亦僅足以勸人行道之言耳。由道則坦然。不由道則冐蓁棘蹈險巇。蓋由焉乎。是何足以盡道哉。若取當行之理其臆。而謂是聖人之道也。則妄之甚者矣。果其言之是乎。孔子奚學。以彼其聖人之智。何所不知。亦不思之甚也。

新字:其解曰。道者当行之理。是言也以賛道則猶之可矣。然亦僅足以勧人行道之言耳。由道則坦然。不由道則冐蓁棘蹈険巇。蓋由焉乎。是何足以尽道哉。若取当行之理其臆。而謂是聖人之道也。則妄之甚者矣。果其言之是乎。孔子奚学。以彼其聖人之智。何所不知。亦不思之甚也。

書き下し

其の解に曰く、「道は当に行ふべきの理なり」と。是の言や以て道を賛すれば則ち猶ほ之れ可なり。然れども亦た僅かに以て人に道を行ふを勧むるに足るの言のみ。道に由れば則ち坦然たり、道に由らざれば則ち蓁棘を冒し険巇を踏む。蓋し焉に由らんか。是れ何ぞ以て道を尽くすに足らんや。若し当に行ふべきの理を其の臆に取りて、是れ聖人の道なりと謂はば、則ち妄の甚だしき者なり。果たして其の言の是ならば、孔子奚ぞ学ばん。彼の其の聖人の智を以てすれば、何の知らざる所かあらん。亦た思はざるの甚だしきなり。

現代語訳

宋儒の注釈は「道とは当然行うべき理である」と言う。この言葉は道をほめたたえる言葉としてなら、まだよい。しかしそれは人に道を行うよう勧めるのに足る程度の言葉にすぎない。道に拠れば平らかに進め、道に拠らなければ茨をかき分け険しい所を踏むことになる、だから道に拠ろうではないか、という程度のことだ。これでどうして道を言い尽くせようか。もし当然行うべき理を自分の胸の内から取り出して、これが聖人の道だと言うなら、でたらめもはなはだしい。もしその言葉が正しいなら、孔子はなぜ学ぶ必要があったのか。あの聖人の知恵をもってすれば、知らないことなどなかったはずだ。まったく考えが足りないことはなはだしい。

解説

朱子の『中庸章句』などに見える「道は当に行ふべきの理」という定義を徂徠は退ける。それは道を勧める標語にはなっても、道の中身を示してはいない。しかも「行うべき理」を各自の胸の内から取り出せるなら、孔子が学び続けた理由が説明できない。道とは自分の頭で導ける正解ではなく、学んで身につける外にあるものだというのが徂徠の立場である。仕事でも「正しいことをやればいい」という言葉は誰も否定できないが、何が正しいかは経験と型を学んではじめてわかる。定義が空回りしていないか確かめたい。

この章句が説くこと

理道朱子学学問孔子定義

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