慎思録 / 巻之四
人生受命天也。有賢愚之命。有禍福之命。其吉凶禍福賢愚美惡。皆是天之所命。得之於有生之初。而有厚薄之定分。然非天有心而降之。其所受命於天。是陰陽變化之道。而鬼神造化之所爲。偶然而巳。然而天道福善禍淫者。是本然之理。非偶然者也爾。
新字:人生受命天也。有賢愚之命。有禍福之命。其吉凶禍福賢愚美悪。皆是天之所命。得之於有生之初。而有厚薄之定分。然非天有心而降之。其所受命於天。是陰陽変化之道。而鬼神造化之所為。偶然而巳。然而天道福善禍淫者。是本然之理。非偶然者也爾。
書き下し
人生まれて命を天に受くるなり。賢愚の命有り、禍福の命有り。其の吉凶禍福賢愚美悪は、皆是れ天の命ずる所にして、之を有生の初めに得て、厚薄の定分有り。然れども天心有りて之を降すに非ず。其の命を天に受くる所は、是れ陰陽変化の道にして、鬼神造化の為す所、偶然なるのみ。然り而して天道の善に福し淫に禍するは、是れ本然の理にして、偶然なる者に非ざるなり。
現代語訳
人は生まれるとき、天から命を受けます。賢愚の命もあり、禍福の命もあります。吉凶・禍福・賢愚・美醜は、みな天が命じたもので、生まれた初めに受け取り、厚い薄いの定まった分があります。しかし天が心を持ってそれを下すのではありません。天から受ける命は、陰陽の変化の道であり、鬼神・造化のしわざであって、偶然にすぎません。けれども、天道が善に福を与え悪に禍を与えるのは本来の理であって、偶然ではないのです。
解説
人の賢さや運不運は生まれつきの「命」で、陰陽の変化による偶然だと益軒は認めます。天が意志をもって個々人に配るのではないという見方は、朱子学の合理的な天観です。一方で、『書経』湯誥の「天道は善に福し淫に禍す」という道理は偶然ではない本来の理だとも言います。偶然と必然を分けるこの考え方は、生まれや境遇は選べなくても、善を行えば報われる筋道は信じてよいという励ましになり、自分に変えられることに力を注ぐ姿勢につながります。
この章句が説くこと
命天禍福善偶然
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