慎思録 / 巻之四
導之而生養遂。敎之而倫理明。然後人道立焉。天道成焉。地道平焉。天地自位焉。萬物自育焉。故朱子曰。儒者之道。必到於參天地賛化育。然後爲功用之全。
新字:導之而生養遂。教之而倫理明。然後人道立焉。天道成焉。地道平焉。天地自位焉。万物自育焉。故朱子曰。儒者之道。必到於参天地賛化育。然後為功用之全。
書き下し
之を導きて生養遂げ、之を教へて倫理明らかなり。然る後に人道立ち、天道成り、地道平らかなり。天地自ら位し、万物自ら育す。故に朱子曰く、儒者の道は、必ず天地に参し化育を賛くるに到りて、然る後に功用の全きと為す、と。
現代語訳
聖人が民を導けば暮らしと養いが遂げられ、民を教えれば人の道の筋道が明らかになります。そうして初めて人の道が立ち、天の道が成り、地の道が平らかになります。天地はおのずから定まり、万物はおのずから育ちます。だから朱子は「儒者の道は、必ず天地と並び立って万物の化育を助けるところまで行って、初めてそのはたらきが完全になる」と言いました。
解説
前の単位の結びで、聖人が民を「導き」「教える」ことで人道・天道・地道がそろい、天地が定まり万物が育つと述べます。「天地位し万物育す」は『中庸』第一章、「天地に参し化育を賛く」は『中庸』第二十二章の言葉です。儒者の学問は自分一人の修養で終わらず、社会の営みを整えて天地の働きを助けるところまで及んで初めて完成する、というのが朱子学の理想でした。学んだことを世の役に立ててこそ学問が完成するという考えは、仕事の意味を問い直すきっかけになります。
この章句が説くこと
教道聖人化育中庸
関連する章句
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『慎思録』巻之五孟子曰く、君子の言は、帯を下らずして、道存す、と。蓋し道は人に遠からず。性に率ふ、之を道と謂ふ。故に曰く、道なる者は、須臾も離るべからざるなり、と。身外の事に非ざるに由るなり。日用常行の間、至近の処にして、至道存す。此れ乃ち天理の流行発見する処なり。君子の道は、費にして隠なり。若し夫れ非常高遠の事に対して、以て至妙と為す者は、左太冲の所謂侈言験無く、麗なりと雖も経に非ずといふ者是れのみ。蓋し妙理を語ることは易し。一超直入、言下頓悟と雖も、亦為すべし。然れども真の悟りに非ざるのみ。
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『慎思録』巻之三君子の道は、固より敢て物を離れず、又敢て物を逐はず。夫れ物を逐ふ者は、其の心を放ちて求むることを知らず、其の欲に徇ひて反ることを知らず。道を失ふ所以なり。物を離るる者は、倫理を去り人事を廃す。道を為す所以に非ざるなり。
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『慎思録』巻之五天地の間、道に非ざる無し。鳶の飛び、魚の躍る者は、乃ち天機の発動する所、道の費なり。此れ見るべし。鳶をして飛ばしめ、魚をして躍らしむる者は、鬼神の為す所、是れ二気の良能、道の隠なり。此れ見るべからず。合せて之を言へば、則ち二気の流行する所、皆是れ天理の在る所にして、道に非ざる無し。
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『慎思録』巻之三朱子曰く、之と謂ふは之を名づくるなり。之を謂ふは直に為すなり、と。蓋し天命之を性と謂ひ、性に率ふ之を道と謂ふの類の如きは、天命は即ち是れ性、率性は即ち是れ道なり。是れ所謂直に為すなり。喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ひ、発して皆節に中る、之を和と謂ふが如きは、蓋し未発の者は即ち是れ中に非ず。其の未発の時、其の心偏らざるを以て、故に之を名づけて中と為す。発して皆節に中る者は、即ち是れ和に非ず。其の已発の時、理に乖戻せざるを以て、故に之を名づけて和と為す。所謂之を名づくるなり。之と謂ふと之を謂ふと、其の意自ら別なること是の如し。概して混同すべからず。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」