童子問 / 卷上
中庸曰。君子之道。本諸身。徵諸庶民。考諸三王而不謬。建諸天地而不悖。質諸鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑。言聖人之道。求之於己。察之於人。考之於往古。推之於來世。徵之於天地鬼神。皆無所不合。至於山川艸木禽獸蟲魚蚑行喙息之微。無徵而不合。無推而不通。天下之達道故也。若夫隱微之說高妙之理。視之而無所見。聽之而無所聞。求之於人倫風俗皆悖焉。可見天地間本來無此理。其實是實非斷而可知也。
新字:中庸曰。君子之道。本諸身。徴諸庶民。考諸三王而不謬。建諸天地而不悖。質諸鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑。言聖人之道。求之於己。察之於人。考之於往古。推之於来世。徴之於天地鬼神。皆無所不合。至於山川艸木禽獣虫魚蚑行喙息之微。無徴而不合。無推而不通。天下之達道故也。若夫隠微之説高妙之理。視之而無所見。聴之而無所聞。求之於人倫風俗皆悖焉。可見天地間本来無此理。其実是実非断而可知也。
書き下し
中庸に曰く、「君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質して疑ひ無く、百世以て聖人を俟ちて惑はず」と。言ふこころは、聖人の道は、之を己に求め、之を人に察し、之を往古に考へ、之を来世に推し、之を天地鬼神に徴して、皆合はざる所無し。山川草木・禽獣虫魚・蚑行喙息の微に至るまで、徴して合はざる無く、推して通ぜざる無し。天下の達道なるが故なり。夫の隠微の説・高妙の理の若きは、之を視れども見る所無く、之を聴けども聞く所無し。之を人倫風俗に求むれば皆悖る。見るべし、天地の間本来此の理無きことを。其の実是実非、断じて知るべきなり。
現代語訳
『中庸』に「君子の道は、自分の身に根本を置き、庶民に照らして確かめ、夏殷周三代の王に考え合わせても誤りがなく、天地の間に打ち立てても道理に背かず、鬼神に問うても疑いがなく、百代の後に聖人が現れるのを待っても迷うことがない」とある。その意味は、聖人の道は、自分に求め、人に察し、遠い昔に考え、来たる世に推し及ぼし、天地や鬼神に照らしても、すべて合わないところがない、ということである。山川草木、鳥獣虫魚、這い回る虫やくちばしで息をする小さな生き物に至るまで、照らして合わないものはなく、推し及ぼして通じないものはない。それは天下の達道だからである。あの隠微な説や高妙な理のようなものは、見ようとしても見えるところがなく、聞こうとしても聞こえるところがない。これを人倫や風俗に求めてみれば、すべて食い違う。天地の間にはもともとそのような理はないのだと分かる。その真の是非は、はっきりと知ることができるのである。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷上問ふ、先生は易知易行なる者を是とし、難知難行なる者を非と説く。安んぞ難知難行なる者の真に是にして、易知易行なる者の是に非ざることを知らんや。乞ふ、申ねて論究せよ。曰く、中庸に曰く、「道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり」と。道の真是真非は、実に此に判る。須臾も離るべからざる者は、堯舜孔子の道是れのみ。仏老の道の若きは、之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無し。皆得て離るべし。豈に之を道と謂ふに足らんや。老荘の説は、戦国秦漢の際に盛んなり。浮屠の法は、後漢永平八年に始めて漢土に来たる。唐虞三代の時には皆之無し。然れども天下泰平にして、黎民寿考し、治皆数百年に及ぶ。時に二氏無きを以て其の治を害せざるなり。秦皇・漢武・唐の玄宗・宋の徽宗は最も道教を信ず。然れども政治日に壊れ、国俗日に隳る。仏法は晋・宋・斉・梁・陳・隋に盛んにして、延いて唐宋に及ぶ。六朝の間、乱亡相尋ぐ。時に二氏有るを以て其の乱を救はざるなり。唐宋頗る小康なりと雖も、本仏法に関はるに非ず、亦太平と為すに足らず。則ち豈に之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無きに非ずや。堯舜孔子の道の若きは、一日之を離るれば、則ち天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、皆其の所を失ふ。豈に須臾も離るべからざるの道に非ずや。其の真是真非も亦判然たり。
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『慎思録』巻之五孟子曰く、君子の言は、帯を下らずして、道存す、と。蓋し道は人に遠からず。性に率ふ、之を道と謂ふ。故に曰く、道なる者は、須臾も離るべからざるなり、と。身外の事に非ざるに由るなり。日用常行の間、至近の処にして、至道存す。此れ乃ち天理の流行発見する処なり。君子の道は、費にして隠なり。若し夫れ非常高遠の事に対して、以て至妙と為す者は、左太冲の所謂侈言験無く、麗なりと雖も経に非ずといふ者是れのみ。蓋し妙理を語ることは易し。一超直入、言下頓悟と雖も、亦為すべし。然れども真の悟りに非ざるのみ。
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『初学訓』巻之一中庸に、性にしたがふを道といふとは、性とは人の心に生れつきたる五性をいふ。仁の性にしたがへば、父子を親み、臣民をいつくしみ、万物を愛する、皆是仁の道なり。義の性にしたがへば、君につかへて、忠を尽し、身を忘れ、老人を敬ひ、賢人をたふとび、利を好まず、財を貪らず、行ふべきすぢめの宜しきをうしなはざるは、皆是義の道なり。礼の性にしたがへば、長幼貴賤のまじはりに次第あり、貴人と老いたるを敬ひ、賤しきと少きをあなどらず、よろづの作法正しく、則を失はざるは、皆是、礼の道なり。智の性にしたがへば、夫婦の別正しく、人の善悪と、万事の邪正をよく知り弁ふる類、皆是智の道なり。信の性にしたがへば、朋友のまじはり偽なく、万の事まことあり、始終ありて、約束たがはざる、皆是、信の道なり。此五性にしたがひて五倫を行ふを、道といふ。中庸に、性にしたがふを道といふはこれなり。
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『童子問』卷上問ふ、中庸は性・道・教を以て序と為す。今道を以て上と為し、教之に次ぎ、而して性を以て道を尽くし教を受くるの地と為す。其の措詞の次第、同じからざる者有るが若し。何ぞやと。曰く、本中庸の理と異なること無し。但だ註家錯説するのみ。中庸の言は、聖人の道は本人性の自然に循ひて、相離れず、諸子百家の自ら私し智を用ひて、人倫日用を遠ざけて以て道と為すが若きに非ざるを言ふなり。故に曰く、性に率ふ之を道と謂ふと。又曰く、離るべきは道に非ざるなりと。夫れ性とは、天の我に賦予して、人人の固より有する所なり。若し性に循ふと否とを論ぜずんば、則ち以て道の邪正を見ること無し。故に中庸先づ性を挙げて言を為すのみ。性を以て道より貴しと為すに非ざるなり。
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『慎思録』巻之三君子の道は、固より敢て物を離れず、又敢て物を逐はず。夫れ物を逐ふ者は、其の心を放ちて求むることを知らず、其の欲に徇ひて反ることを知らず。道を失ふ所以なり。物を離るる者は、倫理を去り人事を廃す。道を為す所以に非ざるなり。
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『童子問』卷下問ふ、古今異端の教へ、其の幾多なるを知らず。孰れか深しと為し、孰れか浅しと為す。何れか大と為し、何れか小と為す。其の間に亦稍是に近き者有りや、と。曰く、古より書を著し教へを立つる者、紛紛藉藉として、其の衆きに堪へず。然れども三大坎に過ぎず。其の高からず卑からず、平常にして易らざる、此れ一大坎たり。乃ち中庸の極にして、聖人の宗旨なり。此に高きこと一等なれば、則ち虚無と為る。老仏の学、是れのみ。此に卑きこと一等なれば、則ち功利と為る。申韓商鞅の徒、是れのみ。老仏以下、代異なり地殊なりて、交々出で迭ひに起こると雖も、此の二端に過ぎず。仮令百世の後、異端なる者出で、旧套に因らず、新説を創倡すとも、亦此の二端を出づること能はず。其の他区区たる半上落下の徒は、亦論ずるに足らず。趙孟静・林兆恩の若きは、乃ち近時の小異端なり。然れども三教を仮りて名と為すに過ぎず。故に其の学大いに譟がしきに至らず。亦笑ふべきなり。
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