慎思録 / 巻之四
或問易曰。一陰一陽。之謂道。信此言。則陰陽亦是純粹。可無妖災。吾子以爲天地之間。唯有一個之道。是以四時行焉。百物生焉。天道果有至理。則不可有不善。無不善。則災禍亦當不興。然如陰陽乖戾。寒暑不時。風雨不節。雨暘不順。霪雨大旱日食地震山崩海溢之爲害。或君子有禍。小人有福之變。皆是爲天地之災禍。陰陽之乖戾。豈可稱之爲道耶。然則天地亦有不善乎。答曰。天地之道。陰陽之運有常有變。常者正。而變者邪也。陰陽和。風雨順。寒暑時。山不崩。海不溢者。常也。反此者變也。雖變而不正。然皆是道之流行者也。不可謂非道。葢陰陽之流行。便是天道。如陰陽。則其變化無窮。是以其行也。有常有變。其常者正。而有理。其變者不正。而差錯。
新字:或問易曰。一陰一陽。之謂道。信此言。則陰陽亦是純粋。可無妖災。吾子以為天地之間。唯有一個之道。是以四時行焉。百物生焉。天道果有至理。則不可有不善。無不善。則災禍亦当不興。然如陰陽乖戻。寒暑不時。風雨不節。雨暘不順。霪雨大旱日食地震山崩海溢之為害。或君子有禍。小人有福之変。皆是為天地之災禍。陰陽之乖戻。豈可称之為道耶。然則天地亦有不善乎。答曰。天地之道。陰陽之運有常有変。常者正。而変者邪也。陰陽和。風雨順。寒暑時。山不崩。海不溢者。常也。反此者変也。雖変而不正。然皆是道之流行者也。不可謂非道。葢陰陽之流行。便是天道。如陰陽。則其変化無窮。是以其行也。有常有変。其常者正。而有理。其変者不正。而差錯。
書き下し
或ひと問ふ、易に曰く、一陰一陽、之を道と謂ふ、と。此の言を信ぜば、則ち陰陽も亦た是れ純粋にして、妖災無かるべし。吾子以為へらく、天地の間、唯だ一個の道有り、是を以て四時行はれ百物生ず、と。天道果して至理有らば、則ち不善有るべからず。不善無ければ、則ち災禍も亦た当に興らざるべし。然るに陰陽乖戻し、寒暑時ならず、風雨節ならず、雨暘順ならず、霪雨大旱日食地震山崩海溢の害を為し、或いは君子に禍有り、小人に福有るの変の如きは、皆是れ天地の災禍、陰陽の乖戻為り。豈に之を称して道と為すべけんや。然らば則ち天地も亦た不善有るか、と。答へて曰く、天地の道、陰陽の運りに常有り変有り。常なる者は正にして、変なる者は邪なり。陰陽和し、風雨順ひ、寒暑時あり、山崩れず、海溢れざるは、常なり。此に反するは変なり。変にして正しからずと雖も、然れども皆是れ道の流行する者なり。道に非ずと謂ふべからず。蓋し陰陽の流行は便ち是れ天道なり。陰陽の如きは、則ち其の変化窮まり無し。是を以て其の行はるるや、常有り変有り。其の常なる者は正にして理有り。其の変なる者は正しからずして差錯す。
現代語訳
ある人が尋ねました。「『易』に『一陰一陽、これを道という』とあります。この言葉を信じるなら、陰陽もまた純粋で、あやしい災いはないはずです。あなたは、天地の間にはただ一つの道があり、それで四季がめぐりあらゆる物が生まれると言います。天道に本当に至高の理があるなら、不善はあるはずがありません。不善がなければ、災いも起こらないはずです。ところが陰陽が狂い、寒暑が時に合わず、風雨が節度を失い、雨と日照りが順当でなく、長雨・大旱・日食・地震・山崩れ・津波が害をなし、君子に禍があり小人に福があるというような異変は、みな天地の災禍であり陰陽の狂いです。どうしてこれを道と呼べましょう。それなら天地にも不善があるのでしょうか」。答えて言います。天地の道、陰陽のめぐりには常と変があります。常は正しく、変はよこしまです。陰陽が和し、風雨が順調で、寒暑が時にかない、山が崩れず海があふれないのが常であり、その反対が変です。変は正しくないとはいえ、どれも道の流れの中のことであり、道でないとは言えません。陰陽の流れこそが天道です。陰陽というものは変化が尽きることがありません。そのため、その運行には常もあれば変もあるのです。常なるものは正しく理にかない、変なるものは正しくなく食い違いを起こします。
解説
この章句が説くこと
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