慎思録 / 巻之三
後醍醐帝恢復之後。朝政不正。禪僧圓月上諫疏。可謂緇徒之俊者也。其疏載于東海一漚集。彼僧之文集也。或曰。新田義貞若殪尊氏。而得其志。則反逆爭奪。亦當如尊氏矣。是以楠正成夙知恢復之難做也。故於湊川先諸將速戰死矣。愚謂。惡是何言也。司馬公有言。曰。士君子處人。只應於有過中求無過。不應於無過中生有過。義貞之事君上也。始終勳勞于王家。未見謀叛之徵兆。何以知其必反乎。是所謂於無過中生有過也。蘇老泉作高祖論。疑樊噲之將反。其意亦與或人疑新田氏之說相似。葢其叛迹未見。奚其逆詐之深刻乎。大抵事功之學。文人之論。往往以利害爲主。而不本仁義之正理。故其說多慘刻。讀之人可辨其當否。不可妄信而繆迷之也。
新字:後醍醐帝恢復之後。朝政不正。禅僧円月上諫疏。可謂緇徒之俊者也。其疏載于東海一漚集。彼僧之文集也。或曰。新田義貞若殪尊氏。而得其志。則反逆争奪。亦当如尊氏矣。是以楠正成夙知恢復之難做也。故於湊川先諸将速戦死矣。愚謂。悪是何言也。司馬公有言。曰。士君子処人。只応於有過中求無過。不応於無過中生有過。義貞之事君上也。始終勲労于王家。未見謀叛之徴兆。何以知其必反乎。是所謂於無過中生有過也。蘇老泉作高祖論。疑樊噲之将反。其意亦与或人疑新田氏之説相似。葢其叛迹未見。奚其逆詐之深刻乎。大抵事功之学。文人之論。往往以利害為主。而不本仁義之正理。故其説多惨刻。読之人可弁其当否。不可妄信而繆迷之也。
書き下し
後醍醐帝恢復の後、朝政正しからず。禅僧円月諫疏を上る。緇徒の俊なる者と謂ふべきなり。其の疏は東海一漚集に載す。彼の僧の文集なり。或ひと曰く、新田義貞若し尊氏を殪して、其の志を得ば、則ち反逆争奪すること、亦当に尊氏の如くなるべし。是を以て楠正成夙に恢復の做し難きを知る。故に湊川に於て諸将に先んじて速やかに戦死す、と。愚謂へらく、悪、是れ何の言ぞや。司馬公言へる有り、曰く、士君子の人に処するは、只応に過有る中に於て過無きを求むべし。応に過無き中に於て過有るを生ずべからず、と。義貞の君上に事ふるや、始終王家に勲労して、未だ謀叛の徴兆を見ず。何を以て其の必ず反するを知らんや。是れ所謂過無き中に於て過有るを生ずるなり。蘇老泉高祖論を作り、樊噲の将に反せんとするを疑ふ。其の意も亦或人の新田氏を疑ふの説と相似たり。蓋し其の叛迹未だ見えず。奚ぞ其れ詐を逆ふることの深刻なるや。大抵事功の学、文人の論は、往往利害を以て主と為して、仁義の正理に本づかず。故に其の説多く惨刻なり。之を読む人は其の当否を弁ずべし。妄りに信じて繆迷すべからざるなり。
現代語訳
後醍醐天皇が政権を取り戻した後、朝廷の政治は正しくありませんでした。禅僧の円月が諫めの上書を奉りました。僧侶の中の優れた人物といえます。その上書は『東海一漚集』に載っています。この僧の文集です。ある人は「新田義貞がもし足利尊氏を討ち取って志を得ていたら、反逆して争い奪うことは尊氏と同じだっただろう。それで楠木正成は早くから建武の新政が成りがたいことを知っていた。だから湊川で諸将に先んじて速やかに戦死したのだ」と言いました。私が思うに、ああ、これは何ということを言うのか。司馬光は「士君子が人に対するときは、過ちのある中に過ちのないところを探すべきで、過ちのない中に過ちを作り出してはならない」と言いました。義貞は主君に仕えて、始めから終わりまで王家のために勲功を立て、謀反の兆しは見えませんでした。どうして必ず反逆すると分かるでしょうか。これこそ「過ちのない中に過ちを作り出す」ものです。蘇洵(老泉)は「高祖論」を書いて、樊噲が反逆しようとしていたと疑いました。その意図も、ある人が新田氏を疑う説と似ています。その反逆の跡はまだ見えないのです。なんと人の偽りを先回りして疑うことの深刻なことか。およそ功利を重んじる学問や文人の議論は、しばしば利害を主として、仁義の正しい理に基づきません。だからその説には残酷なものが多いのです。読む人はその当否を見分けるべきで、むやみに信じて迷ってはなりません。
解説
この章句が説くこと
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