武士訓 / 卷三・第17段
人の上にたてるものは。我かたに出入したる。出入せざるなど。わけへだてゝ。依怙最負すべからず。むかし孔子の門人子游。魯の武城の宰となりしに。孔子人を得たりやと問給ひければ。澹臺滅明といふものあり。路次をすぐるに。本道よりして。ちかみちをゆかず。公用にあらざれば。ついて家に來らずといはれたり。是滅明がこゝろたゞしく。人にへつらはぬを。子游は甚だ稱しられたり。今の俗ならば。我かたに公用の外來らざるものをば。よしとは思ふまじきに。かく稱美せるにて。子游のおほやけなるこゝろあらはれたり。人の頭たるものは子游をまなび。それより下は滅明をまなぶべし。古今賢不肖のたがひはあれども。其行跡にならふはかたからず。(士たるものは。一言おもねらず一事へつらはずといへども。忠孝わたくしなげれば。つゝがなく一生をすぐすなり。富とまづしきとに眼をつくるをなかれ。眼をつくれば不義にながるゝなり。)
新字:人の上にたてるものは。我かたに出入したる。出入せざるなど。わけへだてゝ。依怙最負すべからず。むかし孔子の門人子游。魯の武城の宰となりしに。孔子人を得たりやと問給ひければ。澹台滅明といふものあり。路次をすぐるに。本道よりして。ちかみちをゆかず。公用にあらざれば。ついて家に来らずといはれたり。是滅明がこゝろたゞしく。人にへつらはぬを。子游は甚だ称しられたり。今の俗ならば。我かたに公用の外来らざるものをば。よしとは思ふまじきに。かく称美せるにて。子游のおほやけなるこゝろあらはれたり。人の頭たるものは子游をまなび。それより下は滅明をまなぶべし。古今賢不肖のたがひはあれども。其行跡にならふはかたからず。(士たるものは。一言おもねらず一事へつらはずといへども。忠孝わたくしなげれば。つゝがなく一生をすぐすなり。富とまづしきとに眼をつくるをなかれ。眼をつくれば不義にながるゝなり。)
書き下し
人の上にたてるものは。我かたに出入したる。出入せざるなど。わけへだてゝ。依怙最負すべからず。むかし孔子の門人子游。魯の武城の宰となりしに。孔子人を得たりやと問給ひければ。澹臺滅明といふものあり。路次をすぐるに。本道よりして。ちかみちをゆかず。公用にあらざれば。ついて家に來らずといはれたり。是滅明がこゝろたゞしく。人にへつらはぬを。子游は甚だ稱しられたり。今の俗ならば。我かたに公用の外來らざるものをば。よしとは思ふまじきに。かく稱美せるにて。子游のおほやけなるこゝろあらはれたり。人の頭たるものは子游をまなび。それより下は滅明をまなぶべし。古今賢不肖のたがひはあれども。其行跡にならふはかたからず。(士たるものは。一言おもねらず一事へつらはずといへども。忠孝わたくしなげれば。つゝがなく一生をすぐすなり。富とまづしきとに眼をつくるをなかれ。眼をつくれば不義にながるゝなり。)
現代語訳
人の上に立つ者は、自分のところに出入りした者、出入りしない者などと、分け隔てをして、えこひいきをしてはなりません。昔、孔子の門人の子游が魯の武城の宰となったとき、孔子が「人を得たか」とお尋ねになると、「澹台滅明という者がいます。道を通るにも本道から行き、近道をしません。公用でなければ、ついて来て私の家を訪ねることはありません」と答えました。これは、滅明の心が正しく、人に媚びないことを、子游がたいへん称えたものです。今の世の俗なら、自分のところに公用のほか来ない者を、よいとは思わないでしょうに、こう称賛したところに、子游の公の心が表れています。人の頭たる者は子游を学び、それより下の者は滅明を学ぶべきです。古今、賢と不肖の違いはあっても、その行いに倣うのは難しいことではありません。(士たる者は、一言も阿らず、一事も諂わなくても、忠孝に私心がなければ、つつがなく一生を過ごします。富と貧しさに目をつけてはなりません。目をつければ不義に流れます。)
解説
この章句が説くこと
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