論語 / 八佾篇
射不主皮、為力不同科。古之道也。
書き下し
射は皮を主とせず、力を同じ科に為(わ)けず。古の道なり。
現代語訳
弓の射礼では的の皮を重視せず、力の強さで人を区別しない。これが昔からの正しいやり方である。
解説
孔子は「弓を射る作法では、的の皮を射抜くことだけを重んじず、力の強い弱いで人を同じ扱いにはしない。これが昔からのやり方である」と言いました。的に当てるか外れるかという結果だけで人を測るのではなく、それぞれの体力や事情に応じた取り組み方そのものを大切にするという教えです。これは仕事の評価だけでなく、子どもの運動会や習い事、家族の中での役割分担にも通じます。結果の大きさだけで人を比べてしまうと、体力や条件に恵まれない人はいつも損をして、やる気を失ってしまいます。結果という一つの物差しにとらわれず、それぞれの頑張り方や事情をくみ取る目を持つこと。それが、誰もが納得できる公平さにつながります。
この章句が説くこと
射礼公平評価礼
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