慎思録 / 巻之三
天氣有淸濁。地質有剛柔。天氣變動而不息。地質一定不移。故變化氣質之道。濁者或可變而爲淸。然柔者不可變而爲剛。唯有變其剛惡而爲剛善。變其柔惡爲柔善之理耳。此乃可謂雖柔必强也。
新字:天気有清濁。地質有剛柔。天気変動而不息。地質一定不移。故変化気質之道。濁者或可変而為清。然柔者不可変而為剛。唯有変其剛悪而為剛善。変其柔悪為柔善之理耳。此乃可謂雖柔必強也。
書き下し
天気に清濁有り、地質に剛柔有り。天気は変動して息まず、地質は一定して移らず。故に気質を変化するの道は、濁れる者は或いは変じて清と為すべし。然れども柔なる者は変じて剛と為すべからず。唯其の剛悪を変じて剛善と為し、其の柔悪を変じて柔善と為すの理有るのみ。此れ乃ち柔と雖も必ず強しと謂ふべきなり。
現代語訳
天の気には清濁があり、地の質には剛柔があります。天の気は変わり動いて止まず、地の質は定まって移りません。だから気質を変化させる道では、濁ったものは変えて清くすることができます。しかし柔らかいものを変えて剛くすることはできません。ただ剛の悪を変えて剛の善とし、柔の悪を変えて柔の善とする理があるだけです。これこそ「柔であっても必ず強くなる」ということでしょう。
解説
朱子学の「気質の変化」を、変えられる面と変えられない面に分けて考えた一条です。天の気にあたる清濁、つまり明るさや賢さは学問で変えられるが、地の質にあたる剛柔、つまり気性の強さ柔らかさは変わらず、剛悪を剛善に、柔悪を柔善に変えるだけだと言います。剛善・剛悪・柔善・柔悪の四分類は周敦頤『通書』師第七章に見え、「柔と雖も必ず強し」は『中庸』第二十章の語です。生まれつきの気性を無理に変えようとせず、その持ち味を善い方向に生かせという教えは、自己理解と人材育成の両面で役立ちます。
この章句が説くこと
気質剛柔変化性学問
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