慎思録 / 巻之三
本邦之民。素無學識。而信生死輪廻之說。且好奇異。而厭平常者。俗人之通情也。是以好邪術。而惡正道。此所以天主之敎易入易迷。而聖人之道難曉難明也。苟非有嚴禁重刑。則闔國之人。咸爲彼見陷溺必矣。然則本邦盡爲妖邪之徒。凶逆之賊。其害不可擧而言。豈特被髪左衽而巳乎哉。近世奉彼說者。以豊州之牧大友宗麟爲最先。於其所統領之州郡也。毀宗廟火神祠。殆亡滅而盡矣。其餘宗彼敎者之所爲。往徃皆如是。苟使天下之人牧不禁防之。而任其所爲。則吾邦振古以來所建之宗廟社稷。及后世所祭祀海內之神祠。殫盡而無餘矣。賴有明君之禁防。而天下後世免陷斯禍。民長受其賜。豈非億兆之大幸哉。定知此禁防嚴制。至于萬世。不可有改變。詩云。不愆不忘率由舊章者。此之謂也。
新字:本邦之民。素無学識。而信生死輪廻之説。且好奇異。而厭平常者。俗人之通情也。是以好邪術。而悪正道。此所以天主之教易入易迷。而聖人之道難暁難明也。苟非有厳禁重刑。則闔国之人。咸為彼見陥溺必矣。然則本邦尽為妖邪之徒。凶逆之賊。其害不可挙而言。豈特被髪左衽而巳乎哉。近世奉彼説者。以豊州之牧大友宗麟為最先。於其所統領之州郡也。毀宗廟火神祠。殆亡滅而尽矣。其余宗彼教者之所為。往往皆如是。苟使天下之人牧不禁防之。而任其所為。則吾邦振古以来所建之宗廟社稷。及后世所祭祀海内之神祠。殫尽而無余矣。頼有明君之禁防。而天下後世免陥斯禍。民長受其賜。豈非億兆之大幸哉。定知此禁防厳制。至于万世。不可有改変。詩云。不愆不忘率由旧章者。此之謂也。
書き下し
本邦の民は、素より学識無くして、生死輪廻の説を信ず。且つ奇異を好みて、平常を厭ふ者は、俗人の通情なり。是を以て邪術を好みて、正道を悪む。此れ天主の教の入り易く迷ひ易くして、聖人の道の暁り難く明らかにし難き所以なり。苟も厳禁重刑有るに非ずんば、則ち闔国の人、咸彼の為に陥溺せらるること必せり。然らば則ち本邦尽く妖邪の徒、凶逆の賊と為り、其の害挙げて言ふべからず。豈に特に被髪左衽のみならんや。近世彼の説を奉ずる者は、豊州の牧大友宗麟を以て最先と為す。其の統領する所の州郡に於けるや、宗廟を毀ち神祠を火き、殆ど亡滅して尽く。其の余の彼の教を宗とする者の為す所も、往往皆是の如し。苟も天下の人牧をして禁防せずして、其の為す所に任せしめば、則ち吾が邦振古以来建つる所の宗廟社稷、及び后世祭祀する所の海内の神祠、弾尽して余り無からん。明君の禁防有るに頼りて、天下後世斯の禍を免れ、民長く其の賜を受く。豈に億兆の大幸に非ずや。定めて知る、此の禁防の厳制、万世に至るまで、改変有るべからざることを。詩に云ふ、愆らず忘れず、旧章に率ひ由る、と。此の謂なり。
現代語訳
わが国の民はもともと学識がなく、生死輪廻の説を信じています。そのうえ奇異を好み平常を嫌うのは、俗人に共通する情です。そのため邪な術を好み、正しい道を嫌います。これがキリスト教(天主の教え)が入りやすく人を迷わせやすく、聖人の道が悟りにくく明らかにしにくい理由です。もし厳しい禁令と重い刑罰がなければ、国中の人がみなそれにおぼれてしまうのは必定です。そうなれば、わが国はことごとく妖しく邪な者や凶悪な反逆者となり、その害は挙げて言うこともできません。髪を結わず衣を左前にするような野蛮になるどころではないのです。近世にその説を奉じた者では、豊後の領主大友宗麟が最初です。その治める国や郡では、宗廟を壊し神社を焼き、ほとんど滅ぼし尽くしました。ほかにその教えを奉じた者のしたことも、しばしばみなこのようでした。もし天下の領主たちが禁じ防がず、なすがままに任せていたら、わが国が昔から建ててきた宗廟や社稷、後世に祭ってきた国中の神社は、滅び尽くして残らなかったでしょう。名君の禁止と防御のおかげで、天下後世はこの禍を免れ、民は長くその恩恵を受けています。これこそ万民の大いなる幸いではないでしょうか。この厳しい禁制は、万世に至るまで改めてはならないと確信します。『詩経』に「誤らず忘れず、古い法に従う」とあるのは、このことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・南洲手抄已むことを得ざるの勢に動けば、則ち動いて括せず。枉ぐ可らざるの途を履めば、則ち履んで危からず。
-
『太上感応篇』善行・是れ道なれば則ち進み、非道なれば則ち退く是れ道なれば則ち進み、道に非ざれば則ち退く。邪径を履まず、暗室を欺かず。徳を積み功を累ね、物に慈心あり。忠孝友悌、己を正して人を化す。
-
『囲炉夜話』第五十則・聖賢の人を教ふるは一條の正路天地の人を生ずる、都て一個の良心有り。苟くも此の良心を喪へば、則ち人の禽獸を去ること遠からず。 聖賢の人を教ふる、總て是れ一條の正路なり。若し此の正路を舍つれば、則ち常に荊棘の中を行く。
-
言志四録・南洲手抄遠方に歩を試むる者、往往にして正路を舍て、捷径に趨り、或は繆つて林莽に入る、嗤ふ可きなり。人事多く此に類す。特に之を記す。
-
論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
-
言志四録・南洲手抄天を以て得たるものは固し。人を以て得たるものは脆し。